チェンマイ Chiang Mai

  

チェンマイには鉄道でやって来ました。

駅から中心街は離れているので、ソンテオというトラックの外観をしたタクシーが客待ちしてたのでそれに乗りました。

ターペー門。ソンテオの運転手にホテルのある所と頼むとここに連れてこられました。この付近は安宿や飲食店が多く旅行者にはとても便利。運転手に感謝です。ターペー門前の広場にはいつも多くの人がたむろってました。

ターペー門の石碑。

ドラム缶などを楽器にして演奏する老人。

外国人の注目を一身に浴びます。

お坊さんの行列。どうやら葬式のようでした。

チェンマイは中国人が多いらしく、中国語の看板が至る所に。

バナナロッテというのだったか忘れたましが、パイ生地にバナナをはさんだお菓子の店。ここは繁盛店らしい。

毎晩食べてました。

チェンマイではどこの店でも美味しいめしにありつけました。価格も比較的リーズナブルだったと思う。朝食はいつもこれ。酷暑の中の寺院めぐりなどは過酷なので肉が欠かせません。

タイ米はまずいという記憶がありますが、ここでは特に気にならず美味しく食べられました。これはもち米です。

マンゴーライス。はじめはありえない組み合わせだと思いましたが食べてみるとこれがなかなかいける。ご飯はもち米のようだが甘く、シロップか何かをかけていたと思います。といっても甘すぎず風味がある程度で美味しかったです。

皿にパイナップル・・・

中にご飯!中国でも食べたことがあるのですが美味しいです。

チェンマイでは鳳凰木の花が咲き乱れていました。火炎樹ともいわれます。タイでは孔雀の尾羽というらしい。とても綺麗でした。

チェンマイは「北方のバラ」と呼ばれる古都でタイ北部最大の都市。一大観光地であり多くの観光客が訪れます。観光地化されすぎた街というのは一日で飽きてしまうものですが、チェンマイには旧市街新市街に数えきれないほどの寺院があり何日いても見るものに困りません。寺院は歴史的にも芸術的にも価値があり見る者をひきつけます。さらにチェンマイのナイトバザールは巨大で毎晩のように彷徨い歩きました。居心地がよかったので当初二日滞在の予定を五日に延長してしまいました。

 

クルンテープ駅 Krungthep Station

  

クルンテープ駅、通称フアラムポーン駅HuaLamphongです。

タイ鉄道の起点で、ここから北へ南へ東北へと行くことができます。

駅周辺には旅人目当てか、多くの飲食店がありました。

駅構内です。

正面がチケット売り場で、当時一番左が外国人向けの、英語が通じる窓口でした。

ここから世界遺産の町スコータイへと向かいました。

スネークファームで予防接種

  

フィリピン留学後の旅行第一国目になぜタイを選んだかには理由があります。それはタイのバンコクで予防接種を受けるためでした。なぜタイで予防接種かというと、日本で受けるよりも格安で受けられるからです。

世界旅行する際、さまざまな病気のリスクがあるわけですが、それを未然に防ぐために予防接種は有効です。

バンコクにスネークファームという毒ヘビ研究所があるのですが、その敷地内に「Immunization & Travel Clinic」という旅行者向けクリニックがあります。ここで予防接種が受けられるのです。

入口です。

スネークファームも含めてここは「Queen Saovabha Memorial Institute」サオヴァバ女王記念研究所という名でタイ赤十字協会です。この旅行者クリニックは世界一周旅行者にはとても有名です。私も当初は世界一周するつもりでいたので、ここでの予防接種をあらかじめ日程に組み込んでいたのでした。

中に入り、はじめの部屋でそこにある用紙に記入するよう言われました。英語の記入用紙で、どの予防接種を受けたいか、旅行ではどの国・地域を訪れる予定かなどを記入します。

私が選んだワクチンは

A型・B型肝炎混合(Hepatitis A&B) Twinrix

日本脳炎(Japanese Encephalitis<JE>)

ジフテリア・破傷風二種混合(Diphtheria/Tetanus<dt>)

です。記入用紙を提出してしばらくするとドクターに呼ばれました。ドクターは私の用紙を見て、ヨーロッパに行くならインフルエンザワクチンも接種したほうがいいと言いました。どうやらヨーロッパではインフルエンザが流行っているようで、それならと私はドクターのすすめに従いワクチンを受けることにしました。

本当はインドに行くので腸チフスの予防接種もしておきたかったのですが、残念ながらワクチンがなくてできませんでした。

私は受けるワクチンが多かったので二日に分けて接種することになりました。一日目はジフテリア・破傷風混合、日本脳炎、インフルエンザ。中一日空けて三日目にA型・B型肝炎混合。

ジフテリア・破傷風混合、A型・B型肝炎混合のワクチンは1ヶ月後と半年後の計三回受ける必要があるとのことでした。1ヶ月後はカンボジアのシェムリアップにいる予定で、そこで予防接種できる病院を探して受ける必要がありました。これはまだ先の話ですが、そのときお世話になった病院に腸チフスのワクチンがあり、インドを訪れる前に幸い受けることができたのでした。

さて、予防接種を受けたあと看護婦さんから、副反応がないかしばらく病院内に留まって様子を見るようにと言われました。私は外の廊下の椅子に座ってしばらく休むことにしました。

常夏のタイの午前、窓の外の眩しさに比べたらほんのり薄暗く、クーラーはなかったと思いますが気持ちひんやりした木の廊下、病院にしては人通りがやや少ないそこの木製の長椅子に座っていた時間、あののんびりとした時間のことが今でもなんとなく印象に残っています。

ここで予防接種を受けるとこのような手帳をもらいます。

この手帳に自分の受けたワクチンを記入してもらえます。これを見ればA型・B型肝炎混合ワクチンのように時間をあけて何回か受ける必要があるワクチンのスケジュールが分かるし、他の病院に行った時に見せればその患者がどんなワクチンを受けたかドクターに知らせることができます。お薬手帳のようなものですね。

予防接種はこんな感じで無事終わりました。ここ旅行者クリニック、通称スネークファームの印象ですが、ドクターも看護婦さんも旅人慣れしてるなということでした。英語が下手な私に対しても対応が上手い感じで、全体を通してスムーズに予防接種ができた印象です。

ところで、私はここで一人の日本人と知り合いました。彼もバックパッカーで世界一周をしているのでした。聞けば彼もカオサンロードに宿をとっているということで、一緒にバスで帰ることになりました。

カオサンロードに着いて、せっかくだからと一緒に昼ご飯を食べることになりました。そこでいろいろな話をしました。彼は30代前半で塾講師をしていましたが、辞めて旅に出たとのことです。以前から旅が好きで、イランやアフリカに行ったことがあるというツワモノでした。イランがとても良かったと力説していました。今回の旅でまたアフリカを訪れるそうです。

私がフィリピン留学したのを聞くとどうだった?と興味深そうに聞いてきました。彼も一時はフィリピン留学しようかと思ったそうですが、結局やめたそうです。私は楽しかったよ、フィリピンはご飯も美味しいし住みやすかったというと、そっかーと頷いてました。

カオサンロードの宿の話にもなりました。どうも彼の泊まっている宿の近くにバーだかディスコだかがあるようで、夜うるさくて眠れないと言ってました。なので宿を変えたいと言ってましたが、気持ちはよく分かると思いました。私の宿は寝れないほどうるさいわけではないですが、カオサンロードは夜になるとバーなど大音響で音楽を流して本当にうるさいところがあるのです。

私はここタイに来た時点で、予算的に世界一周どころか半周もできないなと思ってましたが、彼は300万あると言っていて、それなら世界一周できるねという話をしました。

彼とはご飯を食べ終わってフェイスブックを交換して別れました。その後彼に会うことはなかったですが、時々フェイスブックを見て彼が世界一周する過程を知ることができました。やっぱりすごい人だったなと思いました。

以下、スネークファームの旅行者クリニックのリンクです。

「Immunization & Travel Clinic」

http://www.saovabha.com/en/clinictravel.asp

カオサンロード Khao San Road

  

一夜明けたカオサンロードです。

タイといえばトムヤンクン。美味しかったです。

タイ風ミルクティー。

タイ風かき氷。

カオサンロードは夜のほうが賑やかです。

バーやディスコが多い。

西洋人だらけです。

老人が踊ってました・・・

なぜかカメレオンが・・・

カオサンロードにあるマクドナルドのドナルドは合掌してました。

カオサンロードの裏の通り。

ここのケバブは美味しかった。

タイでよく食べたココナッツアイス。椰子の実に入っています。

路上タイ式マッサージ。

カオサンロードのある夜、バイクショーが開催されてました。カオサンロードにはニューハーフが多いのですが、この女性たちはたぶん女性でしょう・・・

カオサンロードは西洋人の街といった感じであまりタイらしいとはいえないかもしれない。真夜中まで西洋人が馬鹿騒ぎするし場所によってはディスコの音がうるさくて寝れないというホテルもあるそう。なんとなく落ち着かない町ではあるが安宿はあるしローカルな安いメシ屋もありで離れられなかったです。

カオサンロードでは日本人の旅人と知り合いにもなりました。

あるメシ屋で夕飯を食べてるとき、後ろで”お前も日本人か”というタイ人店主の声が聞こえました。それがきっかけでその日本人と知り合いました。彼は美容師で、アメリカに働きに行きたいと言ってました。タイにはその前の小旅行のようでした。

話を聞くと彼もフィリピン留学してからタイに来たということで、留学先はバギオの英語学校だったそうです。そのようなわけで二人でご飯を食べながらフィリピンの話などでひとしきり盛り上がったのでした。

タイ バンコクへ

  

フィリピン留学を終えた私はまずはじめにタイのバンコクへやって来ました。スワンナプーム国際空港でまず手元にあったペソをバーツに両替したのですが、両替所のお姉さんが「カップニカー」(ありがとう)と合掌したのを見た時おおと軽い衝撃を受けました。タイに来たのだと実感した瞬間でした。

カオサンロード。バックパッカーの聖地といわれ安宿や酒場が所狭しとひしめきあいます。ここに宿をネットで予約しました。1泊で200バーツ。当時のレートで約600円でした。

ここに着いたのは夜でした。さっそくホテルを探して歩きましたが、いつまでたっても見つかりません。カオサンロード自体はそれほど長いわけではないのですが、全然見つかりません。グーグルマップを印刷して持ってきたのですが、その位置に目当てのホテルがないのです。10キロの二つのバックを背中と前にしょったバックパッカースタイルでタイの熱い夜をえんえんと歩き続けました。カオサンロードを何往復もしましたがやはり見つかりません。

汗だくになりヘトヘトになりながらある路地に入っていくと、その先に一つのホテルがありました。そこのカウンターに座っていた女将が私に泊まっていかないかと英語で言ってきました。既にホテルを予約してあったし、店先に掲げてある値段を見て高いなと思った私は首を振りましたが、ちょうど困っていたのでその女将にグーグルマップの載ったホテルのコピーを見せてここを知らないかと聞いてみました。

女将はそのホテルは知らないようでしたが、そのコピーに載っていた電話番号に電話してくれました。そして女将はホテルの迎えをカオサンロードのはずれに寄越すように取り計らってくれました。私は女将に感謝して、迎えが来るというカオサンロードの端に向かいました。

カオサンロードのはずれに着いてキョロキョロしてると、一人の青年が声をかけてきました。

「Japanese Hotel」

私はNo、ちがうと答えましたが、その時はその青年がホテルの寄越した迎えかと思い、ホテルのコピーを見せました。青年は見るとすぐにこっちだと案内してくれました。あとから気づきましたが、あの青年は違うホテルの客引きだったようです。

案内されたホテルは何度も往復したカオサンロードの真ん中あたりにありました。その位置はコピーしたグーグルマップの反対側にありました。私はマップを信じ切っていたので、ホテルのない側の方ばかり注意して探していました。見つからない時点で違う方を念入りに探すという風に頭を切り替えることができなかったわけです。私の頭のかたさを痛感した次第です。

ホテルは個室ではありましたが、トイレ・シャワー共同、エアコンなし扇風機ありでした。

ようやく荷物を置いて落ち着いた私はカオサンロードに腹ごしらえに出かけました。

カオサンロードにはこのような屋台がたくさん出ていました。私は適当に焼きそばを買って、先ほど私のために電話してくれた女将のところに行きました。

女将に無事ホテルが見つかった旨伝えて感謝して、そこでお礼のつもりでビールを一本買いました。そのホテルの中庭で食べられる場所があったのでそこで屋台の焼きそばと一緒にビールを飲みました。やっとホッとできました。

ガネーシャが見守る下、晩御飯です。

カオサンロードにいる間はよくここに屋台のメシを食べにきてました。女将へのお礼の気持ちもありましたが、それだけでなく、そこはカオサンロードの喧騒から少し離れた位置にあったために静かで良かったからです。

このようなわけで、タイ初日はなんとか予約したホテルに泊まることができました。この時の経験がトラウマになって、私は旅行する時はホテルをあらかじめ予約しないで現地で探すことが基本となりました。カオサンロードのような安宿街に行けば泊まるホテルを探すことは難しいことではないからです。むしろこの時は予約したホテルを探すほうが難しかったのでした。

アンへレスで病気になったら・・・ジャパニーズヘルプデスク

  

アンヘレスで日本人スタッフがいる病院 AUF

フィリピン編を去るにあたり、ぜひ紹介しておきたいのがジャパニーズヘルプデスクです。ジャパニーズヘルプデスクは病院を受診する際にサポートしてくれるので、英語が不自由でも安心です。海外旅行保険に加入していることが条件になりますが。ジャパニーズヘルプデスクはフィリピンではマニラやセブにもありますが、ここアンへレスではAngeles University Foundation Medical Center(AUF)という大学病院にあります。トライシクルには「AU」といえば連れてってくれると思います。

AELCにいたときお腹を壊し嘔吐までしてこれはやばいと思い、日本人マネージャーに病院に行きたい旨告げると、彼はこのAUFを紹介してくれました。

本当は我慢すればできたかもしれないんですが、フィリピンの病院を見てみたかったということもあり、これも一つの経験だと思い行ってみました。

トライシクルでAUまで連れてってもらい、病院の入口を入るとすぐ脇にジャパニーズヘルプデスクの部屋がありました。

よし、と部屋に入り、英語を話す気構えをしたとき、奥の方から「どうしました?」と日本語がかけられました。この時の感動は今でも忘れられません。

「日本語だ!」

英語を話すつもりだったので一瞬戸惑ってしまいました。日本人がいるということは聞いていたにもかかわらず、なぜかそのことを忘れてしまっていたようです。

気をとりなおして、そのスタッフさんに自分の症状を伝えて海外旅行保険の証書を見せました。しばらくして先生のところに診察に行きましょうということで案内されました。病院の廊下には多くの患者さんがいます。診察室前の椅子に座って、さて、これは長く待つことになるなと思い、この時のために持ってきた本を読もうかと思っていたら、スタッフさんが「じゃあ入りましょう」と言うではないですか。「え?」と思いました。私より前に来て待ってる人がたくさんいるんだが?その人たちを横目に部屋に入るとまた椅子に座りましたが、しばらくしてすぐ診察に呼ばれました。こんなに早く診察を受けられるのかと驚きでした。どうやらここのジャパニーズヘルプデスクから来た日本人の患者は優先的に受診させてもらえるようでした。

診察ではスタッフさんも同席してくれたので先生に通訳してもらえました。先生はとてもユニークでフレンドリーだったので診察もとても楽しかったです。フィリピン人らしいとても明るい先生でした。

先生にもらった薬を飲んでしばらく経つと私の体調はよくなりました。ただその後フィリピン滞在中によく風邪を引いてたびたびAUまで行きました。海外旅行保険があるのでキャッシュレスだし、なにより高い保険料を払っていたので使わなきゃ損だと思ったのです。

そんなわけでジャパニーズヘルプデスクとスタッフさんには本当にお世話になりました。そしてこの時の経験がやがて訪れるインドで私を助けることになるのです。ただこれはまだ先の話・・・

AUFホスピタル|Angeles University Foundation Medical Center

これにてフィリピン編は終了です。次回からいよいよ微笑みの国、タイ編です。

ホーリー・サタデー

  

3/26 Holy Saturday

土曜の夜”Salubong”サルーボンと呼ばれる儀式が行われました。これは復活したキリストが母マリアと出会ったことを再現するもの。男女がキリスト像と聖母マリア像に別れて行進します。

マリア像。

男は大体キリスト像の方について行っていたので私もそっちについて行きました。

金曜のプロセッションの時はキャンドルは持ちませんでした。それは自分はキリスト教徒ではないからです。でもあまり気にすることでもないかと思い、この夜は持って歩きました。

キリスト教徒でもない自分が興味があるからといって教会に座ってミサを聞いてもいいのかなと前に先生に聞いたことがありました。すると先生はいいよいいよ聞いてみたらいいじゃんといった感じで言ってました。

昨日のトラディショナル・セレモニーではおじさんはキャンドルを祭壇に置くようにと私を促しました。私が”いいの?”といった顔で見るとおじさんはいいんだいいんだと大きく頷いたものでした。

そのようなこともあってキャンドルを持とうという気になったのだと思います。その場にいたフィリピン人も聞けばたぶんあの明るさと大らかさでもって”持ちたきゃもてばいいんんじゃない?”と言いそうな、そんな気がしたのです。

やがて公園に着きました。

二つの像は出会いました。

すると天使が舞い降りてきて・・・

天使はそれまで聖母マリアを覆っていたベールを取り払い、二人は再会しました。天使に扮した子供たちによる演出でした。

そして花火。

これでホーリーウィークの主な行事はすべて終了しました。連日真夜中まで祭礼に参加していた私はなんとなく祭りのあとのような寂しさを感じたものでした。このホーリーウィークはフィリピンにおいてはクリスマスとならんで特別なイベントであり、これを留学期間中に体験できたのは先生にも言われたが幸運なことでありました。

前にも書きましたが、ホーリーウィークに限らず私はよく授業が終わったあとふらっと散歩に出ては教会に立ち寄って夕方のミサを見学しました。日本にはあまり教会はないのでとても珍しく興味深く面白かったです。老若男女あらゆる人が教会に来ていました。粗暴そうな男も、遊びにしか関心なさそうな若者も、労働者風な人も、学校帰りの少年少女も教会に来ては十字を切り熱心にお祈りしていました。それは新鮮な驚きでした。こんな人も、あんな人も教会に来てる。フィリピン人のなかにカトリックは広く深く浸透している。それは知ってはいたが実際に目の当たりにすると驚いてしまう。たぶん彼らにとって信仰と生活は密接に結びつけられているのでしょう。過去も未来も信仰に関連付けられている。信仰の強さ弱さ無意識的意識的の色合いはあれど信仰の存在における位置の重要さにはさほど変わりなく全体的にフィリピン人は信仰を頼り信仰に支えられ信仰のなかに生きている。

三か月間だけであるがそんなフィリピン人たちのなかに暮らしてみてふと思うのは、では日本人は何を信じて生きているのだろうということでした。よく先生や他のフィリピン人になんで日本人は宗教がないのかと不思議がられました。よく言われることだが宗教のある国の人からすると無宗教ということが考えられず、その国を訪れる際は嘘でも何かの宗教を信じていると言ったほうがいいらしい。たとえばインドのビザの申請書には宗教を選択する欄があり、”CHRISTIAN””BUDDHISM”などのほかに”OTHERS”という項目はあるが”NOTHING”という項目はない。

トラディショナル・グッド・フライデイ・プロセッション

  

3/25 Traditional Good Friday Procession

金曜夕方からプロセッション(行進)が行われました。聖金曜日はキリストが十字架刑に処され墓に葬られたのを記念する日。その生涯が表現されたキリストの像などが台車にのせられて葬送のプロセッションが始まります。多くのフィリピン人たちとともに私も参加しました。

教会前の通りに来るとこのような台車がズラッと並んでました。

教会の中から神輿が出て来ました。昨日よく分からなかったやつです。

いよいよパレードが始まります。

人々はキャンドルを持って歩き出しました。キャンドルは近くにいるキャンドル売りから買うことができます。

道路は封鎖されプロセッションが通ります。人々はキャンドルの火が風に消えないように歩いてました。一緒に歩いてみて単純に楽しかったです。

トラディショナル・セレモニー Traditional Ceremony

プロセッションが終わって祭りのあとのような一抹の寂しさを感じながら帰り道を歩いていると、水曜日の夜宴会に招待された例の祭壇で人々がまた何かをやっていました。彼らは私を見るとおいでおいでをしてきたので、私は嬉しくなってそちらに近づいてみました。

PABASA・・・をしてました。朗読というより歌ですね。

Traditional Ceremony-マンダラーメを終える儀式でした。私を招いたおじさんがいいというので一つ蝋燭を灯しました。

これでマンダラーメも終わり。ホーリーウィークも残すところあと一日です。

ホーリーウィーク2016.3.25

  

3/25 Good Friday

この日は夜にパレードがあるとのことだったので、それまでマンダラーメを見ようと街に出ました。

この日のマンダラーメは昨日ほど多くはありませんでした。

ある一団の終着点にて。

三日間マンダラーメのあとをついていったが住民たちにものすごく歓迎されました。写真を撮ってるともっと撮れと言ってきたり宴会に招待されたり。マンダラーメを追う外国人は珍しいのかもしれません。とくに子供たちは私のほうを見てはおかしそうにげらげらきゃっきゃっ笑ってました。たぶん私がマンダラーメに興味があってついて行ってるのをみんな喜んでたと思います。

鞭打ちは男のみで、十字架を背負う人にたまに女性がいました。基本若者がやっていて兄弟姉妹友達恋人がその道中をともにしていました。PABASAの祭壇では人々が聖書を歌うように朗唱して彼らを迎えます。マンダラーメは地域をあげての行事で、なんとなく私の住む日本の下町の祭りを連想しました。神輿が町中の各所に設けられた祭礼所を巡るような。

鞭打ちで背中は血だらけ、血しぶきが周囲に飛ぶ。多くの人はこれを「異常」「狂気」という。一般的にはそう思うこともあるでしょう。でもずっと彼らにつきそってみた自分としては実感としてそうは思えない。苦しみによって罪を贖おうとすることもキリストの苦しみを分かち合おうとすることもキリスト者としては真剣なことなのではないか?無宗教の私だが真剣さに対しては敬意をはらいたい。それと彼らの明るさ。フレンドリーな性格。彼らと接してはじめて分かったこともありました。

ホーリーウィーク2016.3.24②

  

3/24木曜日、マンダラーメの後をついて歩き回った私は夕方ホーリーロザリーパリッシュ教会を訪れました。17:30から行事があると教会の日程表にあったからです。

ミサが行われてました。

ミサのあと人々はこれを見たりしてました。何かよく分かりませんでした。

やがて教会は暗くなりました。普段はない祭壇がライトアップされ多くの人々が見ていました。

あとから先生に聞いて知ったのですが、この夜近隣の七つの教会それぞれにこのような美しい祭壇が作られ、人々はその教会巡りをするのでした。訪れた人々は祭壇に祈ったり、教会にある絵に描かれた物語と聖書を見比べたり暗唱したりしていました。

このことを知って私は、「くそー、もし知ってたら自分も教会巡りしたのに!」ととても悔しかったのを覚えています。