フィリピン・マニラ湾の夕日はとても綺麗と有名です。なんでも「世界三大夕日」のひとつに数えられるとか。そこでマニラに来た夕方マニラ湾に行ってみました。
ここはマニラで有名な巨大ショッピングモール「モール・オブ・エイジア」。この裏手に海岸があります。
多くの人が散歩したりくつろいでいました。
遊園地のような施設がありました。屋台も多かったです。
夕日を背にライブ演奏。
美しいです。言葉にしたらその宿命ゆえに多くのものは失われてしまいますが、それでもこう言うしかないですね。
東南アジアからインド、ロシアへ
フィリピン・マニラ湾の夕日はとても綺麗と有名です。なんでも「世界三大夕日」のひとつに数えられるとか。そこでマニラに来た夕方マニラ湾に行ってみました。
ここはマニラで有名な巨大ショッピングモール「モール・オブ・エイジア」。この裏手に海岸があります。
多くの人が散歩したりくつろいでいました。
遊園地のような施設がありました。屋台も多かったです。
夕日を背にライブ演奏。
美しいです。言葉にしたらその宿命ゆえに多くのものは失われてしまいますが、それでもこう言うしかないですね。
マニラのイントラムロス北側を流れるパッシング川を渡るとそこはチャイナタウンです。
パッシング川に架かるジョンズ橋からチャイナタウンの入口へ。「中国城」(城は町の意)とあるのが見えます。
入口を入るとフィリピン・中国の親善門が見えてきます。Philippino-Chinese Friendship Archと書かれてあります。
しばらく歩くと見えてくるのがビノンド教会Binondo Churchです。
さらに歩いていくと街並みはいよいよ雑然とした雰囲気に。漢字の看板もあちらこちらにあります。
うろちょろ歩いているともう一つの親善門に行き当たりました。
親善門を抜けると開けた空間に出ました。
正面にはサンタ・クルス教会Santa Cruz Church。
教会の祭壇などに捧げる花を売る少女。
さらに歩き回ると市場に出ました。いつの間にかチャイナタウンを抜けキアポという地区に来ていたみたいです。
キアポは庶民の街でチャイナタウンよりも雑然とした感じです。
市場の隣に教会がありました。
キアポ教会Quiapo Church。有名な教会で私も知ってましたが、まさかこんなところにあるとは思いませんでした。
ミサが行われていました。この教会には17世紀にメキシコから持ち込まれた黒いキリスト像「ブラック・ナザレBlack Nazarene」があるので有名です。毎年1月に開催されるブラック・ナザレ祭Feast of the Black Nazareneには多くの人が訪れるそうです。
教会前には蝋燭や線香?など教会関連の品々が売られてました。
ミサが終わっても多くの人がお祈りしていました。
この日はチャイナタウンに宿をとりました。夜が更けたあとも賑やかなナイトマーケットや教会を散策しました。
これはサンタ・クルス教会。
時間は忘れましたが教会が閉まる前に少し見学しました。
これはキアポ教会。ここはなんと夜ずっと開いてるみたいでした。フィリピンで私が知った教会はたいてい夜は閉まっていたので意外でした。
すでに何人か椅子に寝ていました。私も少し横になってみました。事情があって寝床に困る人はきっととても助かることでしょう。教会の慈悲深さを感じました。
一夜明けてイスラム教徒たちの住む地区へ来ました。この周辺は昨夜も歩いたのですが、地球の歩き方によると治安があまりよくないようです。
右手に黄金のモスクが見えて来ました。
マニラ・ゴールデン・モスク。中に入ろうとしたら入口に座っていた老人に止められて入れませんでした。
実は前夜ここで火事があってそのせいかもしれません。その時はどさくさにまぎれるように中に入れたのでしたが。
イスラム地区を去ります。
アンヘレスに帰る前にサンタ・クルス教会に寄ってみました。朝のミサが行われていました。
以上、チャイナタウンとキアポでした。
ここは初めて来たときは偶然たどり着いた感じで、来ようと思って来たわけではありませんでした。イントラムロスからパッシング川を渡り歩いていたらこの地区に迷い込んでしまったのです。
あとからここがチャイナタウンと知ったわけですが、その雑然としたカオスな雰囲気に一気に惹かれてしまいました。
ここはチャイナタウンとはいえども、横浜の中華街のような観光地では全然ありません。古い建物も多いし道もかなり汚い。普通に庶民の町です。ただ私にはとても興味深く感じられました。
そこで学校の休みの日にあらためて、ここチャイナタウンに一泊することを目的に訪れたわけでした。
マニラ市の中央に位置するのがイントラムロスとリサール公園。このすぐ近くに国立博物館があります。
フィリピンに関する考古学、人類学、植物学、動物学ほか、ありとあらゆるアカデミズムの世界が一覧できます。
フィリピンに住んだ最も古い人類は、2万2000年前の旧石器時代の人々とされています。とくになんの解説もなく、いつの頃の家なのか分からなかったが、大昔フィリピン人はこんな家に住んでいたんだなということは実感できました。
博物館内は写真撮影がOKでした。フラッシュはたかないようにと注意はされましたが。
陶器の模様に中国の影響を感じます。
フィリピンにはワニがいるのだろうか?
タガログ語でもない大昔の文字。
なぜかベルリンの壁が・・・
その他キリスト教の像など宗教的な展示物も数多くありました。やはりスペインの影響は大きい。タガログ語にはスペイン語との共通性があるといいます。また陶器を見ているとふと中国国立博物館で見た陶器を思い出しました。スペインが16世紀にやってくるはるか前からフィリピンは中国との交流が盛んでした。中国人の血を受け継いでいるフィリピン人も多い。さらにイスラムの展示物もありました。スペインが来てキリスト教を広める前、16世紀のマニラはイスラム大国だったといいます。現在のカトリック教国であるフィリピンからはとても信じられない話です。本当にそんな時代があったのかと、なんとも歴史は不可思議だと感じざるをえません。ともかくスペイン、中国、イスラムなどからの影響を受けて今のフィリピンはある。とても複雑でミステリアスで奥が深い国です。
マニラ市の中央にイントラムロスとよばれる城塞都市があります。ここは16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根拠地とした場所で、周囲には城壁が形成され、かつてはスペイン人とメスチーソ(スペイン人との混血)のみが住むのを許されていたといわれます。
イントラムロスの入口
雑貨店。スパニッシュスタイルの建物
この博物館ではかつてのスペイン統治時代の特権階級の暮らしぶりを見ることができます。中は撮影禁止だったので外観だけ
サン・オウガスチン教会 。カーサ・マニラ博物館の向かいにあります。1599~1606に建てられたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会のひとつ。世界遺産に登録されています。
教会では結婚式が行われていました。
教会横にはサン・オウガスチン博物館が併設されています。
宗教画や礼服、像など宗教的な品々が数多く展示され、これらは歴史的にも価値があり見どころは多い。じっくり見たら半日はかかりそうだと思いました。博物館内の各部屋や廊下は重厚な石造りで16世紀の世界に迷い込んだかのよう。ただ歩き回るだけでその雰囲気を感じられて楽しい。壁、柱、天井、窓、椅子、階段、手摺りなどそれ自体個性的であり存在感がありました。
イントラムロスの北西の一番端に位置するのがサンチャゴ要塞です。
かつてこのイントラムロスという城塞都市のなかで、ここが戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうです。
サンチャゴ要塞の裏手にはパッシング川が流れる。その向こうはチャイナタウン。
イントラムロスにはマニラ大聖堂があります。
第二次世界大戦で破壊されましたが、1954~1958年に再建された教会で、フィリピンで最も重要な教会とされています。
ここのパイプオルガンは4500本のパイプをもちアジアで最も大きいものの一つといわれます。
この教会のステンドグラスはフィリピン人アーティストによってデザインされたそうです。
ここでも結婚式。部外者でも中に入れました。
私が中に入ったときはちょうど二つの結婚式の間だったようで、しばらく中を見学してたら次の結婚式がはじまってしまい、ドアが閉まって出れなくなってしまいました。いいのかなと思いつつ、一番後ろの席に座って、結婚式に参加することになりました・・・
しばらくして教会後方にずらりと列ができました。いちばん前にひとり立っている黒いスーツの男が新郎か。それに続いて男女二人ずつの列。その後ろにドレスアップしたちっちゃな子供たち。
音楽が奏でられ、まず新郎がひとり前に歩いていきます。今日の主役です。みんなが彼を見ていました。みんなが彼を祝福しているのがわかりました。そのあと男女二人ずつ間隔をおいて前に歩いていきます。子供たちはひとりずつ歩いていきます。全員行ってしまい、さてと後ろを見ると、いよいよそのドアはゆっくり開いていくのでした。
もうひとりの主役の登場です。場の空気が変わる・・・皆が花嫁を見ていました。きれいでした。そしてファウストの言葉を借りたらこう言うのが最も適しているような瞬間でした。
「時よ止まれ。お前は美しい」