アンへレスで病気になったら・・・ジャパニーズヘルプデスク

  

アンヘレスで日本人スタッフがいる病院 AUF

フィリピン編を去るにあたり、ぜひ紹介しておきたいのがジャパニーズヘルプデスクです。ジャパニーズヘルプデスクは病院を受診する際にサポートしてくれるので、英語が不自由でも安心です。海外旅行保険に加入していることが条件になりますが。ジャパニーズヘルプデスクはフィリピンではマニラやセブにもありますが、ここアンへレスではAngeles University Foundation Medical Center(AUF)という大学病院にあります。トライシクルには「AU」といえば連れてってくれると思います。

AELCにいたときお腹を壊し嘔吐までしてこれはやばいと思い、日本人マネージャーに病院に行きたい旨告げると、彼はこのAUFを紹介してくれました。

本当は我慢すればできたかもしれないんですが、フィリピンの病院を見てみたかったということもあり、これも一つの経験だと思い行ってみました。

トライシクルでAUまで連れてってもらい、病院の入口を入るとすぐ脇にジャパニーズヘルプデスクの部屋がありました。

よし、と部屋に入り、英語を話す気構えをしたとき、奥の方から「どうしました?」と日本語がかけられました。この時の感動は今でも忘れられません。

「日本語だ!」

英語を話すつもりだったので一瞬戸惑ってしまいました。日本人がいるということは聞いていたにもかかわらず、なぜかそのことを忘れてしまっていたようです。

気をとりなおして、そのスタッフさんに自分の症状を伝えて海外旅行保険の証書を見せました。しばらくして先生のところに診察に行きましょうということで案内されました。病院の廊下には多くの患者さんがいます。診察室前の椅子に座って、さて、これは長く待つことになるなと思い、この時のために持ってきた本を読もうかと思っていたら、スタッフさんが「じゃあ入りましょう」と言うではないですか。「え?」と思いました。私より前に来て待ってる人がたくさんいるんだが?その人たちを横目に部屋に入るとまた椅子に座りましたが、しばらくしてすぐ診察に呼ばれました。こんなに早く診察を受けられるのかと驚きでした。どうやらここのジャパニーズヘルプデスクから来た日本人の患者は優先的に受診させてもらえるようでした。

診察ではスタッフさんも同席してくれたので先生に通訳してもらえました。先生はとてもユニークでフレンドリーだったので診察もとても楽しかったです。フィリピン人らしいとても明るい先生でした。

先生にもらった薬を飲んでしばらく経つと私の体調はよくなりました。ただその後フィリピン滞在中によく風邪を引いてたびたびAUまで行きました。海外旅行保険があるのでキャッシュレスだし、なにより高い保険料を払っていたので使わなきゃ損だと思ったのです。

そんなわけでジャパニーズヘルプデスクとスタッフさんには本当にお世話になりました。そしてこの時の経験がやがて訪れるインドで私を助けることになるのです。ただこれはまだ先の話・・・

AUFホスピタル|Angeles University Foundation Medical Center

これにてフィリピン編は終了です。次回からいよいよ微笑みの国、タイ編です。

ホーリー・サタデー

  

3/26 Holy Saturday

土曜の夜”Salubong”サルーボンと呼ばれる儀式が行われました。これは復活したキリストが母マリアと出会ったことを再現するもの。男女がキリスト像と聖母マリア像に別れて行進します。

マリア像。

男は大体キリスト像の方について行っていたので私もそっちについて行きました。

金曜のプロセッションの時はキャンドルは持ちませんでした。それは自分はキリスト教徒ではないからです。でもあまり気にすることでもないかと思い、この夜は持って歩きました。

キリスト教徒でもない自分が興味があるからといって教会に座ってミサを聞いてもいいのかなと前に先生に聞いたことがありました。すると先生はいいよいいよ聞いてみたらいいじゃんといった感じで言ってました。

昨日のトラディショナル・セレモニーではおじさんはキャンドルを祭壇に置くようにと私を促しました。私が”いいの?”といった顔で見るとおじさんはいいんだいいんだと大きく頷いたものでした。

そのようなこともあってキャンドルを持とうという気になったのだと思います。その場にいたフィリピン人も聞けばたぶんあの明るさと大らかさでもって”持ちたきゃもてばいいんんじゃない?”と言いそうな、そんな気がしたのです。

やがて公園に着きました。

二つの像は出会いました。

すると天使が舞い降りてきて・・・

天使はそれまで聖母マリアを覆っていたベールを取り払い、二人は再会しました。天使に扮した子供たちによる演出でした。

そして花火。

これでホーリーウィークの主な行事はすべて終了しました。連日真夜中まで祭礼に参加していた私はなんとなく祭りのあとのような寂しさを感じたものでした。このホーリーウィークはフィリピンにおいてはクリスマスとならんで特別なイベントであり、これを留学期間中に体験できたのは先生にも言われたが幸運なことでありました。

前にも書きましたが、ホーリーウィークに限らず私はよく授業が終わったあとふらっと散歩に出ては教会に立ち寄って夕方のミサを見学しました。日本にはあまり教会はないのでとても珍しく興味深く面白かったです。老若男女あらゆる人が教会に来ていました。粗暴そうな男も、遊びにしか関心なさそうな若者も、労働者風な人も、学校帰りの少年少女も教会に来ては十字を切り熱心にお祈りしていました。それは新鮮な驚きでした。こんな人も、あんな人も教会に来てる。フィリピン人のなかにカトリックは広く深く浸透している。それは知ってはいたが実際に目の当たりにすると驚いてしまう。たぶん彼らにとって信仰と生活は密接に結びつけられているのでしょう。過去も未来も信仰に関連付けられている。信仰の強さ弱さ無意識的意識的の色合いはあれど信仰の存在における位置の重要さにはさほど変わりなく全体的にフィリピン人は信仰を頼り信仰に支えられ信仰のなかに生きている。

三か月間だけであるがそんなフィリピン人たちのなかに暮らしてみてふと思うのは、では日本人は何を信じて生きているのだろうということでした。よく先生や他のフィリピン人になんで日本人は宗教がないのかと不思議がられました。よく言われることだが宗教のある国の人からすると無宗教ということが考えられず、その国を訪れる際は嘘でも何かの宗教を信じていると言ったほうがいいらしい。たとえばインドのビザの申請書には宗教を選択する欄があり、”CHRISTIAN””BUDDHISM”などのほかに”OTHERS”という項目はあるが”NOTHING”という項目はない。

トラディショナル・グッド・フライデイ・プロセッション

  

3/25 Traditional Good Friday Procession

金曜夕方からプロセッション(行進)が行われました。聖金曜日はキリストが十字架刑に処され墓に葬られたのを記念する日。その生涯が表現されたキリストの像などが台車にのせられて葬送のプロセッションが始まります。多くのフィリピン人たちとともに私も参加しました。

教会前の通りに来るとこのような台車がズラッと並んでました。

教会の中から神輿が出て来ました。昨日よく分からなかったやつです。

いよいよパレードが始まります。

人々はキャンドルを持って歩き出しました。キャンドルは近くにいるキャンドル売りから買うことができます。

道路は封鎖されプロセッションが通ります。人々はキャンドルの火が風に消えないように歩いてました。一緒に歩いてみて単純に楽しかったです。

トラディショナル・セレモニー Traditional Ceremony

プロセッションが終わって祭りのあとのような一抹の寂しさを感じながら帰り道を歩いていると、水曜日の夜宴会に招待された例の祭壇で人々がまた何かをやっていました。彼らは私を見るとおいでおいでをしてきたので、私は嬉しくなってそちらに近づいてみました。

PABASA・・・をしてました。朗読というより歌ですね。

Traditional Ceremony-マンダラーメを終える儀式でした。私を招いたおじさんがいいというので一つ蝋燭を灯しました。

これでマンダラーメも終わり。ホーリーウィークも残すところあと一日です。

ホーリーウィーク2016.3.25

  

3/25 Good Friday

この日は夜にパレードがあるとのことだったので、それまでマンダラーメを見ようと街に出ました。

この日のマンダラーメは昨日ほど多くはありませんでした。

ある一団の終着点にて。

三日間マンダラーメのあとをついていったが住民たちにものすごく歓迎されました。写真を撮ってるともっと撮れと言ってきたり宴会に招待されたり。マンダラーメを追う外国人は珍しいのかもしれません。とくに子供たちは私のほうを見てはおかしそうにげらげらきゃっきゃっ笑ってました。たぶん私がマンダラーメに興味があってついて行ってるのをみんな喜んでたと思います。

鞭打ちは男のみで、十字架を背負う人にたまに女性がいました。基本若者がやっていて兄弟姉妹友達恋人がその道中をともにしていました。PABASAの祭壇では人々が聖書を歌うように朗唱して彼らを迎えます。マンダラーメは地域をあげての行事で、なんとなく私の住む日本の下町の祭りを連想しました。神輿が町中の各所に設けられた祭礼所を巡るような。

鞭打ちで背中は血だらけ、血しぶきが周囲に飛ぶ。多くの人はこれを「異常」「狂気」という。一般的にはそう思うこともあるでしょう。でもずっと彼らにつきそってみた自分としては実感としてそうは思えない。苦しみによって罪を贖おうとすることもキリストの苦しみを分かち合おうとすることもキリスト者としては真剣なことなのではないか?無宗教の私だが真剣さに対しては敬意をはらいたい。それと彼らの明るさ。フレンドリーな性格。彼らと接してはじめて分かったこともありました。

ホーリーウィーク2016.3.24②

  

3/24木曜日、マンダラーメの後をついて歩き回った私は夕方ホーリーロザリーパリッシュ教会を訪れました。17:30から行事があると教会の日程表にあったからです。

ミサが行われてました。

ミサのあと人々はこれを見たりしてました。何かよく分かりませんでした。

やがて教会は暗くなりました。普段はない祭壇がライトアップされ多くの人々が見ていました。

あとから先生に聞いて知ったのですが、この夜近隣の七つの教会それぞれにこのような美しい祭壇が作られ、人々はその教会巡りをするのでした。訪れた人々は祭壇に祈ったり、教会にある絵に描かれた物語と聖書を見比べたり暗唱したりしていました。

このことを知って私は、「くそー、もし知ってたら自分も教会巡りしたのに!」ととても悔しかったのを覚えています。

ホーリーウィーク2016.3.24

  

3/24 Holy Thursday

マンダラーメの人たちは木曜金曜によく街中で見られた。

昼学校を出た私はネポモールの方に向かいました。昨日の青年が言っていたところからすると今日またマンダラーメをやると思われたからです。

スマホを向けると子供がポーズしました。PABASA2016とあります。

昨日宴会に招待された祭壇です。

近くの墓地に人々が集まっていました。鞭打つ人は黙々と自分の背中を打ってましたが、やがて人々は墓地を出て街中を歩き出しました。

あとをついて行きます。

十字架を背負う人。女性のようでした。

PABASAの祭壇。PABASAとは「読む」という意味らしい。このような祭壇が町中にいくつもできて住民が聖書を延々と詠唱する。叙事詩「パッション」の全章らしい。そのPABASAの祭壇をマンダラーメの人々は巡り来てはひざまづいてお祈りし、また次のPABASAの祭壇へ行く。このマンダラーメを教会は認めていないらしくフィリピン人によっては否定感を持つ人もいるようだが地域住民には根付いた儀式のようでした。

街中には多くのマンダラーメの集団がねり歩いていました。

あるマンダラーメの一団の終着点。人々は明るく楽しげでした。

ホーリー・ウィーク2016.3.23②

  

ロレンソ・ルイスの劇が終わってジプニーで学校に帰る途中、ふと夜道を歩く妙な人々を見かけました。マンダラーメだ!と思った私は「パラポ」と言って(ジプニーを降りるときはこう言う)彼らの後を追っかけました。

彼ら一団は鞭を自分に打って歩く人と青年二人、子供たちでした。私があとをついて行くと子供たちはきゃっきゃっ笑いながら私の方を見てきます。やがて広場に祭壇のようなものがあるところに着きました。

ここで鞭打っていた人はお祈りしたり倒れたりしてました。ここは”PABASA”といわれる祭壇で街中各所にあり、次の日以降私はマンダラーメの人々と一緒に経めぐることになります。

私は遠巻きに彼らを見ていたのですが、すると彼らのうちの青年がやって来て写真を撮ってくれと言って来ました。私はやや面食らいながらも了解してスマホを構えると彼らはポーズをとります。鞭打っていた人もやって来て俺も撮れと言い出しました。

写真を撮ってもらうことが嬉しいのかと不思議に思いまた可笑しくもありました。一緒に記念撮影もしましたが一緒に変顔をしよう、こうやるんだと変顔をやらされました。彼らはとにかく陽気でした。

やがて彼らはまた歩き出しました。私がまたあとをついて行くと子供たちはまた私の方を見て笑います。青年はまた歩いてるところを撮れと言います。

一団は住宅街の中に入っていき、やがてまたPABASAの祭壇のある広場に辿り着きました。

ここが終着点のようで、大勢の子供たちが待っていました。道の向こうには大人たちが宴会のテーブルを用意してました。

私は先ほどの青年たちと握手してお別れしました。彼らは「お前明日は来るか、俺たちはここを通る、また明日来い、また会おう」と言ってくれました。私は分かったと応じましたが、結局彼らには会えませんでした。

帰りに先ほどのPABASAを通りかかると、今度は別の一団がテーブルを出して宴会をしています。前を通ると手招きして来ます。また写真を撮ってくれと頼まれてそれで宴会に招待してくれました。彼らは近所の人たちのようでしたがとにかく人なつっこく陽気でした。フィリピン人の国民性を実感したように思いました。その中に学生っぽい男女がいて私のことを興味深そうに色々と聞いて来ました。笑顔も明るく感じのいい青年たちでしたが、彼らともその後会うことはできませんでした。いまから思い返すとフィリピンではいい出会いが多々ありましたが、本当に一瞬のことでした。

ホーリーウィーク2016.3.23

  

3/23(水)Holy Wednesday

この日教会前の道路は封鎖され教会主催の演劇が催されました。予定では18:30開始でしたが実際に始まったのは20:30。。あとで先生に言ったら「It’s Firippino time !」 と言って笑ってました。フィリピン人は時間にルーズだとのこと。自分と気が合いそうだなと思いました。面白かったのはなかなか始まらないのに観客がそれが当たり前のことのように待ってること。遅い!といらいらしてた自分とは違ってました。

ようやく始まります。

演劇ははじめ音楽とダンスではじまり、そのあと殉教者の物語になりました。音楽は中華系で、キリスト教劇とおかしなコラボレーションだなと思いましたが、フィリピンにおける中国の影響力の大きさのあらわれかなと見ながら思っていました。ただ実際、劇が殉教もので重いだけにこの中華音楽の華やかさは聴衆の求めるところだったでしょう。

天使がやって来ました。観客席の間を歩きます。

殉教者が天に召されます。

フィナーレ。さっきまでの重くシリアスな流れとは無関係に一気に騒いではしゃいで盛り上がりますw

大団円には龍も出て来ました。

劇が終わり役者、スタッフ、観客が入り交じり喜びを分かちあいます。

子供たちは紙吹雪で大はしゃぎ。

この劇については教会のスケジュールに次のように書かれてました。

“Ang Martir” A Dance -Drama on the martyrdom of the first Filipino Saint, Lorenzo Ruiz

ロレンソ・ルイス。フィリピン人の聖人でカトリック教徒。日本に初めて来たフィリピン人で江戸時代初期に長崎で殉教しました。

この劇を見るときはこれらについて何も知りませんでしたが、あとから知って日本にまつわる劇だったのかと意外な驚きでした。

劇自体はよかったです。とくに主役のキリスト者が迫害者の迫害にあって殺されるところ。ハリウッド映画に代表される私の見慣れたストーリーではここで誰かが助けるか、主人公が迫害者を倒すのですが、無残にも殺されてしまうのでした。悪が勝つ。不条理だ。だが主人公は天国で神に迎えられるのでした。そうか、と思った。これは私のよく見慣れた劇ではないのでした。キリスト教劇なのでした。この劇の本質は死にある。つまり殉教にある。主人公が迫害者に殺されるシーンでは背後でキリストが迫害され磔にされる映画が映されました。それまで音楽とダンスには散漫だった観客の集中力が一気に高まるのが分かりました。固唾をのむ音が聞こえそうなほどの空気。そして天国で神があらわれ主人公を迎えた時には拍手が起きました。そのとき観客は殉教者に、そしてキリストに共感していたと思います。

ホーリーウィーク2016

  

フィリピンで一番印象深かったことといえばなんといってもホーリーウィークHoly Week(聖週間)です。
ホーリーウィークはイースター(復活祭)の一週間前からはじまり、2016年は3/27(日)がイースターでした。この週の特に木曜金曜以降は大型店舗をはじめ各種交通機関までが休みに入ります。マニラでは電車が止まり長距離バスも本数が減るようでした。学校も木曜から休みに入りました。実に不便な時期だともいえますが、私はむしろフィリピンを知るいい機会だと思いすべての祭礼に参加しようと心に決めていました。

ホーリーロザリーパリッシュ教会にはホーリーウィークの日程表が貼られていました。

3/20(日)Palm Sunday(枝の主日)

この日からイースターの前日の土曜日までがホーリーウィーク。枝の主日はキリストがエルサレムに入った際、群衆がしゅろの枝を振り歓声を上げて迎えたという聖書の記述に基づいているそう。教会ではホーリーウィークの始まりを告げる式典があるようで、時間前には多くの人でごった返していました。

神父の話が終わると人々は一斉にしゅろの枝を振り始めました。ホーリーウィークの始まりです。

式典が終わりしゅろの枝を持った人々も家路につきはじめたころ、教会前にはなにやら一風変わった一団がやって来ました。

彼らはホーリー期間中自分の体を鞭で打ちながら街を歩きます。それは自分の体を痛めつけることによってキリストの苦しみを分かち合おうとするのであり、また罪を清めるためでもあるらしい。先生によるとこれはマンダラーメMandarameといってタガログ語ではなく地方語のようでした。

十字架を背負った人も来ました。

ホーリー期間中私はマンダラーメの人々を何度も見ただけでなく、彼らと交流することにもなりました。

アンヘレスの街〜ネポモール周辺2

  

右にJolibeeと見えますが、これがフィリピン一のファーストフード店「ジョリビー」です。あのマクドナルドもフィリピンではシェアの面で敵わないといわれるほど人気です。実際フィリピンのいたるところでジョリビーを見かけます。AELCの前にもあります。ジョリビーのあのミツバチのキャラクターも人気だそうですが、それはかわいらしいだけでなくどこか可笑しさがあるからではないかと思われました。

この通りにはスマホ店が多かったです。たくさんの中古スマホがショーウインドウに並んでました。

フィリピンではたまに見かける馬車。マニラで乗りました。

フィリピンには華僑が多いようで、中国の旧正月を新暦と同じようにお祝いします。

床屋

先生に教えてもらった店。フィリピン料理が食べられます。いつも客が多く人気店のようでした。

上の店でよくたべた料理。独特の味付けで美味しかったです。料理の名前は忘れてしまいましたが。

ホーリーロザリーパリッシュHoryRosaryParish教会。ネポモール周辺の繁華街におけるもう一つのランドマークというべきなのがこの教会。フィリピンはアジア唯一のカトリック教国です。フィリピン人のおよそ80パーセント以上がカトリックといわれます。

教会には学生が学校帰りに来ていたり、労働者風の男がお祈りしていたり、恋人らしい男女がミサを聞いていたりしていて、それらを見ると私はいつも新鮮な驚きを感じるのでした。フィリピンの一般市民のあいだに宗教がいかに浸透しているかという驚きでした。宗教は彼らの生活の一部なのです。

無宗教で教会などというものに行ったこともない私には何から何まで興味深いものでした。私はよく夕方のミサを聞きに教会を訪れました。ミサは英語とタガログ語を交互にやっているようで、夜までやってました。

ミサを聞くのは自由なので、私はフィリピン人のふりをして椅子に座ってました。もっともタガログ語のミサはもちろん、英語のミサもよく聞き取れませんでしたが。歌も歌ったりしました。おもしろかったのはミサの最後の方でいつも隣人愛の表現なのでしょうが、牧師の呼びかけがあると聴衆者たちが前後左右に振り向いて、そこにいる隣人に笑顔で頷いてみせるのです。はじめの頃私は戸惑って恥ずかしがったものですが、じきにそれにも慣れ、私も彼らに頷いたりしてました。

フィリピン滞在中に何度もこの教会を訪れたわけですが、結局私は信者にはなりませんでした。それでもこの後に体験するホーリーウイークとともに、このホーリーロザリーパリッシュ教会はいまではとてもいい思い出です。