3/26 Holy Saturday
土曜の夜”Salubong”サルーボンと呼ばれる儀式が行われました。これは復活したキリストが母マリアと出会ったことを再現するもの。男女がキリスト像と聖母マリア像に別れて行進します。
マリア像。
男は大体キリスト像の方について行っていたので私もそっちについて行きました。
金曜のプロセッションの時はキャンドルは持ちませんでした。それは自分はキリスト教徒ではないからです。でもあまり気にすることでもないかと思い、この夜は持って歩きました。
キリスト教徒でもない自分が興味があるからといって教会に座ってミサを聞いてもいいのかなと前に先生に聞いたことがありました。すると先生はいいよいいよ聞いてみたらいいじゃんといった感じで言ってました。
昨日のトラディショナル・セレモニーではおじさんはキャンドルを祭壇に置くようにと私を促しました。私が”いいの?”といった顔で見るとおじさんはいいんだいいんだと大きく頷いたものでした。
そのようなこともあってキャンドルを持とうという気になったのだと思います。その場にいたフィリピン人も聞けばたぶんあの明るさと大らかさでもって”持ちたきゃもてばいいんんじゃない?”と言いそうな、そんな気がしたのです。
やがて公園に着きました。
二つの像は出会いました。
すると天使が舞い降りてきて・・・
天使はそれまで聖母マリアを覆っていたベールを取り払い、二人は再会しました。天使に扮した子供たちによる演出でした。
そして花火。
これでホーリーウィークの主な行事はすべて終了しました。連日真夜中まで祭礼に参加していた私はなんとなく祭りのあとのような寂しさを感じたものでした。このホーリーウィークはフィリピンにおいてはクリスマスとならんで特別なイベントであり、これを留学期間中に体験できたのは先生にも言われたが幸運なことでありました。
前にも書きましたが、ホーリーウィークに限らず私はよく授業が終わったあとふらっと散歩に出ては教会に立ち寄って夕方のミサを見学しました。日本にはあまり教会はないのでとても珍しく興味深く面白かったです。老若男女あらゆる人が教会に来ていました。粗暴そうな男も、遊びにしか関心なさそうな若者も、労働者風な人も、学校帰りの少年少女も教会に来ては十字を切り熱心にお祈りしていました。それは新鮮な驚きでした。こんな人も、あんな人も教会に来てる。フィリピン人のなかにカトリックは広く深く浸透している。それは知ってはいたが実際に目の当たりにすると驚いてしまう。たぶん彼らにとって信仰と生活は密接に結びつけられているのでしょう。過去も未来も信仰に関連付けられている。信仰の強さ弱さ無意識的意識的の色合いはあれど信仰の存在における位置の重要さにはさほど変わりなく全体的にフィリピン人は信仰を頼り信仰に支えられ信仰のなかに生きている。
三か月間だけであるがそんなフィリピン人たちのなかに暮らしてみてふと思うのは、では日本人は何を信じて生きているのだろうということでした。よく先生や他のフィリピン人になんで日本人は宗教がないのかと不思議がられました。よく言われることだが宗教のある国の人からすると無宗教ということが考えられず、その国を訪れる際は嘘でも何かの宗教を信じていると言ったほうがいいらしい。たとえばインドのビザの申請書には宗教を選択する欄があり、”CHRISTIAN””BUDDHISM”などのほかに”OTHERS”という項目はあるが”NOTHING”という項目はない。