タイの寺院
バンコク、スコータイ、アユタヤー、チェンマイを訪れていくつかの仏教寺院を見て回りました。その中で代表的なものを紹介していきたいと思います。
東南アジアからインド、ロシアへ
もともとチェンマイには来ない予定でした。それがバンコクで次のベトナムに行くまでに日数が微妙に余った感じになり、そのまま期日までバンコクを観光してもよかったのですが、どうせなら有名なチェンマイに足を伸ばしてみようかと二日のみの予定で行ったのでした。それがチェンマイが予想外に居心地がよかったので、滞在を五日に延長してしまったのでした。
帰りの切符はすでに買ってしまっていたので、駅までわざわざ出向いて窓口に日付変更をお願いしたのを今でもよく覚えています。あの時はよく英語でそんな交渉できたなと我ながら感心してしまいます。きっとフィリピンで英語勉強した成果でしょう。
もともとタイへの旅行を企画した際、「地球の歩き方」を読んでいましたが、チェンマイにはあまり興味が湧きませんでした。とくに世界遺産があるわけでもない、パッとしない印象でした。でも実際に来てみるとチェンマイはとても魅力的な街でした。旧市街新市街の至る所に寺院があり、街が歴史的建造物と一体となっているようでした。昼は寺院巡り、夜はナイトバザール巡りとチェンマイでの時間はゆったりと流れていきました。ご飯も美味しかったし、住むにはいい街に違いありません。
以上で微笑みの国・タイ編は終了です。今から振り返ると1ヶ月くらいいたように感じますが、実際滞在したのは16日だけだったのでした。実に濃密な時間だったと感慨深いものがあります。
タイを旅のはじめに選んだわけは予防接種をするためでしたが、バンコク、とりわけカオサンロードがバックパッカーの聖地と言われていることからまず訪れてみたいという理由もありました。そしてタイに来てみて納得した感がありました。ここにはたしかに旅人の旅心をそそるようなものがあるなと。金色に輝く仏塔や仏像、真剣にお祈りする人々、その一方でバンコクの繁華街などに見られる喧騒、猥雑、狂喜。そんな聖俗が渾然となったような街。じつに人間くさい、そこがすこぶるおもしろいのでした。旅情をかきたてるものが溢れています。
タイでは出会いもありました。
日本人との出会いは前の記事で書きましたが、韓国人との出会いもありました。
バンコクでのある日、一日中街を歩いて、夜9時過ぎだったか、ある鉄道駅近くのバス停にいました。カオサンロードに帰るためです。カオサンロード近くには鉄道は走ってないので、バスかタクシーかトゥクトゥクで帰るしかないのです。だがいつまで待ってもバスは来ません。タクシーやトゥクトゥクは走っているのですが、バスが安いのでできればバスで帰りたかったのですが、全然来ません。日本の感覚ではまだそんなに遅い時間ではなかったので、バスくらいあるだろうと思っていたのです。
待ちくたびれてベンチに座っていると、一人の青年がバス停に歩いて来ました。彼も同じように待っていましたが、しばらくしてこちらに英語で質問して来ました。カオサンロード行きのバスはないかと。自分も同じように待ってるがなかなか来ないと答えると、あなたもカオサンロードですかと、そこから話になりました。
いろいろ話しましたが、奇遇なことに彼も中国の北京に留学したことがあったのでした。彼は私より優秀で、クラスも私より上でしたし、HSKという中国における中国語検定の最上級である6級を持っているのでした。すごいねと私がいうと、彼は本当は下のクラスに行きたかった、そこに日本人のかわいい女の子がいたからと言って笑いました。私も笑って、自分のクラスにはかわいい韓国人の女の子がいたよという話をして二人で笑いました。彼いわく日本人の女の子が話す日本語の発音はかわいいそうです。日本人の私にはよく分からないのですが。
韓国人はどこの国にもいるねという話を私がすると、彼は韓国は経済が小さいから外に行かざるを得ないという話をしてました。なるほどと思わされました。
あれやこれやの話で盛り上がりましたが、カオサンロード行きのバスはいつまで待っても来ません。結局もうバスはないのだろうということで、二人でトゥクトゥクで帰ることになりました。ちょうど来たトゥクトゥクをつかまえて二人で乗り、そうして無事帰ることができました。車の少ないがらんとしたカオサンロード近くの道路や走るトゥクトゥクから感じる夜風の気持ちよさ、そして彼をそのホテルの近くで降ろして別れたときの様子など、いまでもよく覚えています。
彼とは微信を交換したのですが、それによると最近ではまた北京に留学しているようです。いいなーと思わざるをえません。
私は人見知りする方で、そのうえ一人でいるのが好きな方なので、あまり積極的に人に話かけることはないのですが、それでも旅先での出会いはいいものだということは認めざるをえません。そんな数々の出会いは旅の他の記憶とは明らかに区別される質的違いがあるようで、胸をしめつけられるようなきわめて感情的なものと結びついているように感じられるのです。
タイ、とくにバンコクでは旅人との出会いが比較的多くて、やはりバックパッカーの聖地だなと思うのでした。
チェンマイには鉄道でやって来ました。
駅から中心街は離れているので、ソンテオというトラックの外観をしたタクシーが客待ちしてたのでそれに乗りました。
ターペー門。ソンテオの運転手にホテルのある所と頼むとここに連れてこられました。この付近は安宿や飲食店が多く旅行者にはとても便利。運転手に感謝です。ターペー門前の広場にはいつも多くの人がたむろってました。
ターペー門の石碑。
ドラム缶などを楽器にして演奏する老人。
外国人の注目を一身に浴びます。
お坊さんの行列。どうやら葬式のようでした。
チェンマイは中国人が多いらしく、中国語の看板が至る所に。
バナナロッテというのだったか忘れたましが、パイ生地にバナナをはさんだお菓子の店。ここは繁盛店らしい。
毎晩食べてました。
チェンマイではどこの店でも美味しいめしにありつけました。価格も比較的リーズナブルだったと思う。朝食はいつもこれ。酷暑の中の寺院めぐりなどは過酷なので肉が欠かせません。
タイ米はまずいという記憶がありますが、ここでは特に気にならず美味しく食べられました。これはもち米です。
マンゴーライス。はじめはありえない組み合わせだと思いましたが食べてみるとこれがなかなかいける。ご飯はもち米のようだが甘く、シロップか何かをかけていたと思います。といっても甘すぎず風味がある程度で美味しかったです。
皿にパイナップル・・・
中にご飯!中国でも食べたことがあるのですが美味しいです。
チェンマイでは鳳凰木の花が咲き乱れていました。火炎樹ともいわれます。タイでは孔雀の尾羽というらしい。とても綺麗でした。
チェンマイは「北方のバラ」と呼ばれる古都でタイ北部最大の都市。一大観光地であり多くの観光客が訪れます。観光地化されすぎた街というのは一日で飽きてしまうものですが、チェンマイには旧市街新市街に数えきれないほどの寺院があり何日いても見るものに困りません。寺院は歴史的にも芸術的にも価値があり見る者をひきつけます。さらにチェンマイのナイトバザールは巨大で毎晩のように彷徨い歩きました。居心地がよかったので当初二日滞在の予定を五日に延長してしまいました。
クルンテープ駅、通称フアラムポーン駅HuaLamphongです。
タイ鉄道の起点で、ここから北へ南へ東北へと行くことができます。
駅周辺には旅人目当てか、多くの飲食店がありました。
駅構内です。
正面がチケット売り場で、当時一番左が外国人向けの、英語が通じる窓口でした。
ここから世界遺産の町スコータイへと向かいました。
フィリピン留学後の旅行第一国目になぜタイを選んだかには理由があります。それはタイのバンコクで予防接種を受けるためでした。なぜタイで予防接種かというと、日本で受けるよりも格安で受けられるからです。
世界旅行する際、さまざまな病気のリスクがあるわけですが、それを未然に防ぐために予防接種は有効です。
バンコクにスネークファームという毒ヘビ研究所があるのですが、その敷地内に「Immunization & Travel Clinic」という旅行者向けクリニックがあります。ここで予防接種が受けられるのです。
入口です。
スネークファームも含めてここは「Queen Saovabha Memorial Institute」サオヴァバ女王記念研究所という名でタイ赤十字協会です。この旅行者クリニックは世界一周旅行者にはとても有名です。私も当初は世界一周するつもりでいたので、ここでの予防接種をあらかじめ日程に組み込んでいたのでした。
中に入り、はじめの部屋でそこにある用紙に記入するよう言われました。英語の記入用紙で、どの予防接種を受けたいか、旅行ではどの国・地域を訪れる予定かなどを記入します。
私が選んだワクチンは
A型・B型肝炎混合(Hepatitis A&B) Twinrix
日本脳炎(Japanese Encephalitis<JE>)
ジフテリア・破傷風二種混合(Diphtheria/Tetanus<dt>)
です。記入用紙を提出してしばらくするとドクターに呼ばれました。ドクターは私の用紙を見て、ヨーロッパに行くならインフルエンザワクチンも接種したほうがいいと言いました。どうやらヨーロッパではインフルエンザが流行っているようで、それならと私はドクターのすすめに従いワクチンを受けることにしました。
本当はインドに行くので腸チフスの予防接種もしておきたかったのですが、残念ながらワクチンがなくてできませんでした。
私は受けるワクチンが多かったので二日に分けて接種することになりました。一日目はジフテリア・破傷風混合、日本脳炎、インフルエンザ。中一日空けて三日目にA型・B型肝炎混合。
ジフテリア・破傷風混合、A型・B型肝炎混合のワクチンは1ヶ月後と半年後の計三回受ける必要があるとのことでした。1ヶ月後はカンボジアのシェムリアップにいる予定で、そこで予防接種できる病院を探して受ける必要がありました。これはまだ先の話ですが、そのときお世話になった病院に腸チフスのワクチンがあり、インドを訪れる前に幸い受けることができたのでした。
さて、予防接種を受けたあと看護婦さんから、副反応がないかしばらく病院内に留まって様子を見るようにと言われました。私は外の廊下の椅子に座ってしばらく休むことにしました。
常夏のタイの午前、窓の外の眩しさに比べたらほんのり薄暗く、クーラーはなかったと思いますが気持ちひんやりした木の廊下、病院にしては人通りがやや少ないそこの木製の長椅子に座っていた時間、あののんびりとした時間のことが今でもなんとなく印象に残っています。
ここで予防接種を受けるとこのような手帳をもらいます。
この手帳に自分の受けたワクチンを記入してもらえます。これを見ればA型・B型肝炎混合ワクチンのように時間をあけて何回か受ける必要があるワクチンのスケジュールが分かるし、他の病院に行った時に見せればその患者がどんなワクチンを受けたかドクターに知らせることができます。お薬手帳のようなものですね。
予防接種はこんな感じで無事終わりました。ここ旅行者クリニック、通称スネークファームの印象ですが、ドクターも看護婦さんも旅人慣れしてるなということでした。英語が下手な私に対しても対応が上手い感じで、全体を通してスムーズに予防接種ができた印象です。
ところで、私はここで一人の日本人と知り合いました。彼もバックパッカーで世界一周をしているのでした。聞けば彼もカオサンロードに宿をとっているということで、一緒にバスで帰ることになりました。
カオサンロードに着いて、せっかくだからと一緒に昼ご飯を食べることになりました。そこでいろいろな話をしました。彼は30代前半で塾講師をしていましたが、辞めて旅に出たとのことです。以前から旅が好きで、イランやアフリカに行ったことがあるというツワモノでした。イランがとても良かったと力説していました。今回の旅でまたアフリカを訪れるそうです。
私がフィリピン留学したのを聞くとどうだった?と興味深そうに聞いてきました。彼も一時はフィリピン留学しようかと思ったそうですが、結局やめたそうです。私は楽しかったよ、フィリピンはご飯も美味しいし住みやすかったというと、そっかーと頷いてました。
カオサンロードの宿の話にもなりました。どうも彼の泊まっている宿の近くにバーだかディスコだかがあるようで、夜うるさくて眠れないと言ってました。なので宿を変えたいと言ってましたが、気持ちはよく分かると思いました。私の宿は寝れないほどうるさいわけではないですが、カオサンロードは夜になるとバーなど大音響で音楽を流して本当にうるさいところがあるのです。
私はここタイに来た時点で、予算的に世界一周どころか半周もできないなと思ってましたが、彼は300万あると言っていて、それなら世界一周できるねという話をしました。
彼とはご飯を食べ終わってフェイスブックを交換して別れました。その後彼に会うことはなかったですが、時々フェイスブックを見て彼が世界一周する過程を知ることができました。やっぱりすごい人だったなと思いました。
以下、スネークファームの旅行者クリニックのリンクです。
「Immunization & Travel Clinic」
一夜明けたカオサンロードです。
タイといえばトムヤンクン。美味しかったです。
タイ風ミルクティー。
タイ風かき氷。
カオサンロードは夜のほうが賑やかです。
バーやディスコが多い。
西洋人だらけです。
老人が踊ってました・・・
なぜかカメレオンが・・・
カオサンロードにあるマクドナルドのドナルドは合掌してました。
カオサンロードの裏の通り。
ここのケバブは美味しかった。
タイでよく食べたココナッツアイス。椰子の実に入っています。
路上タイ式マッサージ。
カオサンロードのある夜、バイクショーが開催されてました。カオサンロードにはニューハーフが多いのですが、この女性たちはたぶん女性でしょう・・・
カオサンロードは西洋人の街といった感じであまりタイらしいとはいえないかもしれない。真夜中まで西洋人が馬鹿騒ぎするし場所によってはディスコの音がうるさくて寝れないというホテルもあるそう。なんとなく落ち着かない町ではあるが安宿はあるしローカルな安いメシ屋もありで離れられなかったです。
カオサンロードでは日本人の旅人と知り合いにもなりました。
あるメシ屋で夕飯を食べてるとき、後ろで”お前も日本人か”というタイ人店主の声が聞こえました。それがきっかけでその日本人と知り合いました。彼は美容師で、アメリカに働きに行きたいと言ってました。タイにはその前の小旅行のようでした。
話を聞くと彼もフィリピン留学してからタイに来たということで、留学先はバギオの英語学校だったそうです。そのようなわけで二人でご飯を食べながらフィリピンの話などでひとしきり盛り上がったのでした。
フィリピン留学を終えた私はまずはじめにタイのバンコクへやって来ました。スワンナプーム国際空港でまず手元にあったペソをバーツに両替したのですが、両替所のお姉さんが「カップニカー」(ありがとう)と合掌したのを見た時おおと軽い衝撃を受けました。タイに来たのだと実感した瞬間でした。
カオサンロード。バックパッカーの聖地といわれ安宿や酒場が所狭しとひしめきあいます。ここに宿をネットで予約しました。1泊で200バーツ。当時のレートで約600円でした。
ここに着いたのは夜でした。さっそくホテルを探して歩きましたが、いつまでたっても見つかりません。カオサンロード自体はそれほど長いわけではないのですが、全然見つかりません。グーグルマップを印刷して持ってきたのですが、その位置に目当てのホテルがないのです。10キロの二つのバックを背中と前にしょったバックパッカースタイルでタイの熱い夜をえんえんと歩き続けました。カオサンロードを何往復もしましたがやはり見つかりません。
汗だくになりヘトヘトになりながらある路地に入っていくと、その先に一つのホテルがありました。そこのカウンターに座っていた女将が私に泊まっていかないかと英語で言ってきました。既にホテルを予約してあったし、店先に掲げてある値段を見て高いなと思った私は首を振りましたが、ちょうど困っていたのでその女将にグーグルマップの載ったホテルのコピーを見せてここを知らないかと聞いてみました。
女将はそのホテルは知らないようでしたが、そのコピーに載っていた電話番号に電話してくれました。そして女将はホテルの迎えをカオサンロードのはずれに寄越すように取り計らってくれました。私は女将に感謝して、迎えが来るというカオサンロードの端に向かいました。
カオサンロードのはずれに着いてキョロキョロしてると、一人の青年が声をかけてきました。
「Japanese Hotel」
私はNo、ちがうと答えましたが、その時はその青年がホテルの寄越した迎えかと思い、ホテルのコピーを見せました。青年は見るとすぐにこっちだと案内してくれました。あとから気づきましたが、あの青年は違うホテルの客引きだったようです。
案内されたホテルは何度も往復したカオサンロードの真ん中あたりにありました。その位置はコピーしたグーグルマップの反対側にありました。私はマップを信じ切っていたので、ホテルのない側の方ばかり注意して探していました。見つからない時点で違う方を念入りに探すという風に頭を切り替えることができなかったわけです。私の頭のかたさを痛感した次第です。
ホテルは個室ではありましたが、トイレ・シャワー共同、エアコンなし扇風機ありでした。
ようやく荷物を置いて落ち着いた私はカオサンロードに腹ごしらえに出かけました。
カオサンロードにはこのような屋台がたくさん出ていました。私は適当に焼きそばを買って、先ほど私のために電話してくれた女将のところに行きました。
女将に無事ホテルが見つかった旨伝えて感謝して、そこでお礼のつもりでビールを一本買いました。そのホテルの中庭で食べられる場所があったのでそこで屋台の焼きそばと一緒にビールを飲みました。やっとホッとできました。
ガネーシャが見守る下、晩御飯です。
カオサンロードにいる間はよくここに屋台のメシを食べにきてました。女将へのお礼の気持ちもありましたが、それだけでなく、そこはカオサンロードの喧騒から少し離れた位置にあったために静かで良かったからです。
このようなわけで、タイ初日はなんとか予約したホテルに泊まることができました。この時の経験がトラウマになって、私は旅行する時はホテルをあらかじめ予約しないで現地で探すことが基本となりました。カオサンロードのような安宿街に行けば泊まるホテルを探すことは難しいことではないからです。むしろこの時は予約したホテルを探すほうが難しかったのでした。