フィリピン留学を終えた私はまずはじめにタイのバンコクへやって来ました。スワンナプーム国際空港でまず手元にあったペソをバーツに両替したのですが、両替所のお姉さんが「カップニカー」(ありがとう)と合掌したのを見た時おおと軽い衝撃を受けました。タイに来たのだと実感した瞬間でした。
カオサンロード。バックパッカーの聖地といわれ安宿や酒場が所狭しとひしめきあいます。ここに宿をネットで予約しました。1泊で200バーツ。当時のレートで約600円でした。
ここに着いたのは夜でした。さっそくホテルを探して歩きましたが、いつまでたっても見つかりません。カオサンロード自体はそれほど長いわけではないのですが、全然見つかりません。グーグルマップを印刷して持ってきたのですが、その位置に目当てのホテルがないのです。10キロの二つのバックを背中と前にしょったバックパッカースタイルでタイの熱い夜をえんえんと歩き続けました。カオサンロードを何往復もしましたがやはり見つかりません。
汗だくになりヘトヘトになりながらある路地に入っていくと、その先に一つのホテルがありました。そこのカウンターに座っていた女将が私に泊まっていかないかと英語で言ってきました。既にホテルを予約してあったし、店先に掲げてある値段を見て高いなと思った私は首を振りましたが、ちょうど困っていたのでその女将にグーグルマップの載ったホテルのコピーを見せてここを知らないかと聞いてみました。
女将はそのホテルは知らないようでしたが、そのコピーに載っていた電話番号に電話してくれました。そして女将はホテルの迎えをカオサンロードのはずれに寄越すように取り計らってくれました。私は女将に感謝して、迎えが来るというカオサンロードの端に向かいました。
カオサンロードのはずれに着いてキョロキョロしてると、一人の青年が声をかけてきました。
「Japanese Hotel」
私はNo、ちがうと答えましたが、その時はその青年がホテルの寄越した迎えかと思い、ホテルのコピーを見せました。青年は見るとすぐにこっちだと案内してくれました。あとから気づきましたが、あの青年は違うホテルの客引きだったようです。
案内されたホテルは何度も往復したカオサンロードの真ん中あたりにありました。その位置はコピーしたグーグルマップの反対側にありました。私はマップを信じ切っていたので、ホテルのない側の方ばかり注意して探していました。見つからない時点で違う方を念入りに探すという風に頭を切り替えることができなかったわけです。私の頭のかたさを痛感した次第です。
ホテルは個室ではありましたが、トイレ・シャワー共同、エアコンなし扇風機ありでした。
ようやく荷物を置いて落ち着いた私はカオサンロードに腹ごしらえに出かけました。
カオサンロードにはこのような屋台がたくさん出ていました。私は適当に焼きそばを買って、先ほど私のために電話してくれた女将のところに行きました。
女将に無事ホテルが見つかった旨伝えて感謝して、そこでお礼のつもりでビールを一本買いました。そのホテルの中庭で食べられる場所があったのでそこで屋台の焼きそばと一緒にビールを飲みました。やっとホッとできました。
ガネーシャが見守る下、晩御飯です。
カオサンロードにいる間はよくここに屋台のメシを食べにきてました。女将へのお礼の気持ちもありましたが、それだけでなく、そこはカオサンロードの喧騒から少し離れた位置にあったために静かで良かったからです。
このようなわけで、タイ初日はなんとか予約したホテルに泊まることができました。この時の経験がトラウマになって、私は旅行する時はホテルをあらかじめ予約しないで現地で探すことが基本となりました。カオサンロードのような安宿街に行けば泊まるホテルを探すことは難しいことではないからです。むしろこの時は予約したホテルを探すほうが難しかったのでした。