ロレンソ・ルイスの劇が終わってジプニーで学校に帰る途中、ふと夜道を歩く妙な人々を見かけました。マンダラーメだ!と思った私は「パラポ」と言って(ジプニーを降りるときはこう言う)彼らの後を追っかけました。
彼ら一団は鞭を自分に打って歩く人と青年二人、子供たちでした。私があとをついて行くと子供たちはきゃっきゃっ笑いながら私の方を見てきます。やがて広場に祭壇のようなものがあるところに着きました。
ここで鞭打っていた人はお祈りしたり倒れたりしてました。ここは”PABASA”といわれる祭壇で街中各所にあり、次の日以降私はマンダラーメの人々と一緒に経めぐることになります。
私は遠巻きに彼らを見ていたのですが、すると彼らのうちの青年がやって来て写真を撮ってくれと言って来ました。私はやや面食らいながらも了解してスマホを構えると彼らはポーズをとります。鞭打っていた人もやって来て俺も撮れと言い出しました。
写真を撮ってもらうことが嬉しいのかと不思議に思いまた可笑しくもありました。一緒に記念撮影もしましたが一緒に変顔をしよう、こうやるんだと変顔をやらされました。彼らはとにかく陽気でした。
やがて彼らはまた歩き出しました。私がまたあとをついて行くと子供たちはまた私の方を見て笑います。青年はまた歩いてるところを撮れと言います。
一団は住宅街の中に入っていき、やがてまたPABASAの祭壇のある広場に辿り着きました。
ここが終着点のようで、大勢の子供たちが待っていました。道の向こうには大人たちが宴会のテーブルを用意してました。
私は先ほどの青年たちと握手してお別れしました。彼らは「お前明日は来るか、俺たちはここを通る、また明日来い、また会おう」と言ってくれました。私は分かったと応じましたが、結局彼らには会えませんでした。
帰りに先ほどのPABASAを通りかかると、今度は別の一団がテーブルを出して宴会をしています。前を通ると手招きして来ます。また写真を撮ってくれと頼まれてそれで宴会に招待してくれました。彼らは近所の人たちのようでしたがとにかく人なつっこく陽気でした。フィリピン人の国民性を実感したように思いました。その中に学生っぽい男女がいて私のことを興味深そうに色々と聞いて来ました。笑顔も明るく感じのいい青年たちでしたが、彼らともその後会うことはできませんでした。いまから思い返すとフィリピンではいい出会いが多々ありましたが、本当に一瞬のことでした。