バギオ Baguio

  

2016年の2/8(月)は旧正月で、フィリピンではチャイニーズイヤーとして祝日でした。学校も三連休だったのでルソン島北部の街バギオに小旅行に行って来ました。

標高1500mに位置するバギオ。フィリピンとは思えないほど涼しかったです。この日は曇っていたので長袖シャツでちょうどよかった。市内には八つの大学があり全人口の半分は学生ともいわれます。たしかに若者が多かったです。

バギオにはAELCのような語学学校もあるようで、タイで会った日本人はここの学校に英語留学したとのことでした。

2016年当時1ペソは3円弱(2018年現在は2円強)。なのでみかん一袋150円くらいでした。安い。

バギオといえば苺と先生は言ってましたが、確かに山のように売られていました。

50g買って歩き食いしたが美味かったです。

バギオで泊まったホテル「銀星大旅社」。

この日は祝日だったせいか、ホテルはどこも満室でなかなか見つからず、暗くなってきて焦っていたところようやく見つけることができました。中国人経営のホテルらしかったです。

中はこんな感じ。部屋は狭く窓なしでボロかったが、最低限のものは揃っているようでした。電源は使えたし、ベッドにもダニはいなさそうだったのでまあよしとしたわけです。ホテルが見つからなかった場合、この寒空の下バスの待合室で寝るしかないと思っていたので、屋根の下で寝れるというだけでその時はとにかくありがたかったです。

実際バギオはフィリピンとは思えないほど涼しかったです。アンヘレスはまさに夏でいつも半袖半ずぼん、サンダル姿でいましたが、それに比べるとバギオは過ごしやすかったです。とはいえ夜になると肌寒くすらありました。

この銀星大旅社に私は二泊三日しました。

アンヘレスの街〜ネポモール周辺2

  

右にJolibeeと見えますが、これがフィリピン一のファーストフード店「ジョリビー」です。あのマクドナルドもフィリピンではシェアの面で敵わないといわれるほど人気です。実際フィリピンのいたるところでジョリビーを見かけます。AELCの前にもあります。ジョリビーのあのミツバチのキャラクターも人気だそうですが、それはかわいらしいだけでなくどこか可笑しさがあるからではないかと思われました。

この通りにはスマホ店が多かったです。たくさんの中古スマホがショーウインドウに並んでました。

フィリピンではたまに見かける馬車。マニラで乗りました。

フィリピンには華僑が多いようで、中国の旧正月を新暦と同じようにお祝いします。

床屋

先生に教えてもらった店。フィリピン料理が食べられます。いつも客が多く人気店のようでした。

上の店でよくたべた料理。独特の味付けで美味しかったです。料理の名前は忘れてしまいましたが。

ホーリーロザリーパリッシュHoryRosaryParish教会。ネポモール周辺の繁華街におけるもう一つのランドマークというべきなのがこの教会。フィリピンはアジア唯一のカトリック教国です。フィリピン人のおよそ80パーセント以上がカトリックといわれます。

教会には学生が学校帰りに来ていたり、労働者風の男がお祈りしていたり、恋人らしい男女がミサを聞いていたりしていて、それらを見ると私はいつも新鮮な驚きを感じるのでした。フィリピンの一般市民のあいだに宗教がいかに浸透しているかという驚きでした。宗教は彼らの生活の一部なのです。

無宗教で教会などというものに行ったこともない私には何から何まで興味深いものでした。私はよく夕方のミサを聞きに教会を訪れました。ミサは英語とタガログ語を交互にやっているようで、夜までやってました。

ミサを聞くのは自由なので、私はフィリピン人のふりをして椅子に座ってました。もっともタガログ語のミサはもちろん、英語のミサもよく聞き取れませんでしたが。歌も歌ったりしました。おもしろかったのはミサの最後の方でいつも隣人愛の表現なのでしょうが、牧師の呼びかけがあると聴衆者たちが前後左右に振り向いて、そこにいる隣人に笑顔で頷いてみせるのです。はじめの頃私は戸惑って恥ずかしがったものですが、じきにそれにも慣れ、私も彼らに頷いたりしてました。

フィリピン滞在中に何度もこの教会を訪れたわけですが、結局私は信者にはなりませんでした。それでもこの後に体験するホーリーウイークとともに、このホーリーロザリーパリッシュ教会はいまではとてもいい思い出です。

アンヘレスの街〜ネポモール周辺

  

AELCからジプニーに乗って約5分で繁華街に着きます。そこにはネポモールNEPOMALLというショッピングモールがあり、いわばこの街のランドマークになっていました。私はよくこの街に行くことをネポモールに行くと言っていました。

噂ではネポさんが作ったからネポモールだとか・・・

中にはスーパーマーケットからファーストフード・飲食店、服屋、本屋兼文房具店、電化製品店、スマホ販売店などが入っています。生活に必要なものはここでほぼ全て揃うと言っていいでしょう。私はスマホのSimカードをここで買いました。

ATMも何台かあるので、クレジットカードかデビットカードがあればここでペソを引き出せます。私は当時は三菱UFJ銀行とジャパンネット銀行のデビットカードでATMから引き出していました。なので両替屋は利用しませんでした。

私と同時期に入学した一人の日本人は、持って来たクレジットカードでペソを引き出すことができなくて困っていました。おそらくクレジットカードのキャッシング枠がゼロだったのでしょう。旅行前にはキャッシング枠をよく確認しておく必要があります。

ちなみに、当時私は上記デビットカードで引き出していましたが、両替時の手数料の点でもっと割のいいクレジットカードがあるのをあとから知りました。いまでは旅行時はそちらで現地通貨を引き出してます。いつか機会があればそれについても紹介します。

右にあるのがアンヘレスでよく見る薬のチェーン店「mercury drug」。留学中に親知らずが痛み出して大変でしたが、ここで痛み止めをもらったらそれが意外に効きました。

出国前に海外保険には入っていましたが、歯科系の疾患には保険は適用されないということを後から知り、絶望的な気持ちになりました。痛みはありがたいことに一時期のものでしたが、その時は本当にどうしようと困り果てました。

この時の教訓で、少し長めの旅行前には歯科医に診てもらうようにしています。

親知らずは勿論、帰国後に抜きました。

この通りに出た時、私はフィリピンに来てはじめて東南アジアに来たという実感をもちました。それはほとんど感動ですらありました。それまでは、空港から直接タクシーでAELCに来て学内にいたので、町歩きしてなかったのです。

写真に写っている車がジプニーです。アンヘレス市内を縦横無尽に走っております。ただバス停などはなく、どのジプニーがどこを走るのか、街に住んでない人には全然分かりません。

ジプニーに乗る時は運転手に見えるように手を出します。すると止まってくれます。タクシーを止める時の要領です。アンヘレスの人たちはよくジプニーを止めるとき人差し指を出してました。つまり一人乗りますよ、という意味です。

ジプニーの路線に関していうと、ネポモールはAELCに住む私にとってはすべての基点になる場所でした。SMモールというアンヘレス一のショッピングモールに行くにも、大学病院に行くにも、長距離バス停に行くにも、まずネポモール行きのジプニーに乗ってから、それぞれの目的地を通るジプニーに乗り換えるのです。逆に学校に帰るにはとにかくネポモールに行きさえすればいいわけです。

ジプニーは安いしとても便利ですが、注意すべき点もあります。それは盗難です。同じAELCの日本人の学生男二人がジプニーに乗ったそうですが、降りた時にはズボンのポケットに入れていたiPhoneがなくなっていたそうです。二人ともです。信じられますか?そんなことありうるのかという話です。でも事実そうらしいのです。犯人は一体どうやったのか?

私はその話を聞いてとにかくびっくりしてしまったわけですが、痛感させられたのは、本当の盗みのプロにかかってはどんな対策も意味をなさないのではないかということでした。二人は不運だったというしかありません。

それ以降、私はジプニーに乗る時はTシャツの下に隠したウエストポーチの中にiPhoneを入れてました。その甲斐あってか、フィリピン滞在中に盗難に遭うことはありませんでした。いま旅行するときはそこまでの対策はしてませんが、それでもポケットに入れた金とスマホにはいつも神経を張り巡らせています。

そんなこともありましたが、そういう注意点を除けば、ジプニーはとても便利で大好きでした。しばらく町歩きしているうちに、どのジプニーがどこを走るかを把握できるようになると、もうどこにでも行けるんじゃないかという気になりました。これが自由というものだと思われました。

特に好きだったのが夜のジプニーでした。窓から入る風が心地よく、後ろに過ぎ去って行く町並みをいつまでも眺めていました。

アンヘレス英語留学の授業

  

AELCの売りはネイティブ教師とのマンツーマンですが、私はフィリピン人教師に習いました。

フィリピン人教師は丁寧で親切とネットで見たから単純にそうしました。私は英語が中学生レベル以下だったので、はじめフィリピン人教師に習ってから、もし欲が出てきたらネイティブ教師の授業に替えるか追加しようと考えたのです。

マンツーマン授業は1日3コマでしたが、実際に習ってみるとフィリピン人の先生は3人ともとてもいい先生でした。3ヶ月間この3人に習いたいと思ったので、結局ネイティブの先生には替えなかったわけです。

マンツーマン授業はとても楽しかったです。grammar,reading,speakingと授業内容とテキストが決まっていて、それにあわせて先生が教えてくれました。最初はぎこちなかった私の英語でしたが、少し経つと知ってる単語を駆使しておしゃべりできるようにはなってました。それというのも先生が私のレベルに合わせて話してくれたからです。テキストに関連した話で盛り上がることもありましたし、それぞれの国や生活のことでおしゃべりすることもありました。

今から思うとこのおしゃべりの経験が私にとってはとても大きかったです。英語で考えて英語で話すといういわゆる英語脳が発達したと思われるからです。

3ヶ月のフィリピン留学で英語がペラペラになるということはもちろんありませんでしたが、英語脳は若干形成されて、単純な英語の受け答えはすぐ出てくるようにはなりました。重要なのはこれからも英語の勉強を継続していくことだと一人の先生は言っていました。

フィリピン人はみんな英語がペラペラと思っていましたが、実際のところ喋れはするが苦手という人も多いようです。その先生は発音がとても綺麗で授業でもその英語の上手さや頭のよさがよく感じられたものでしたが、それは話を聞くと努力の賜物なのだということが分かるのでした。高校出てからも大学で4年間英語を勉強し続けたということです。その話のなかでは、大学で毎日毎日英語を使っていると疲れることもあったと言ってました。たしかに外国語で考え続けていると母国語に慣れている脳には疲れるものがあります。

英語の上達には延々と勉強し続けることが大切なのだとその先生から教わりました。先生の努力を知って私も努力しようという気になったのです。こういう内面的な根拠ともいうべきものはこの留学における大きな財産の一つであったといえるのです。

アンヘレスに3ヶ月留学した費用

  

AELCでの留学費用は3ヶ月間で約52万でした。これには授業料に食費、それに入学金(約12,000円)が含まれます。

授業料はマンツーマンの授業が1日3コマ(フィリピン人の先生3人)の料金です。グループレッスンを1日2コマ受けることもできます。

この留学費用は日本出発前にエージェントに払う支払う費用です。ちなみに私がお世話になったエージェントは留学プロといいました。

留学プロ

ただAELCの学生はSchoolWithというエージェントの仲介で来ていた人が多かったみたいです。(2016年当時)

SchoolWith

上記の渡航前に払う費用とは別に、現地に着いてから払う費用が別途あります。

寄宿舎補償金3,000ペソ(帰国時に返還)、SSP(特別滞在許可証)6,000ペソ、ACR-Iカード(外国人登録証)3,000ペソ、SSRN(登録管理番号発行費用)1,000ペソ、空港ピックアップ2,700ペソ、一人部屋代500ペソ/1週×12=6,000ペソ、ビザ延長費用8,530ペソです。あわせて30,230ペソ。当時1ペソは約2.5円でしたので、だいたい75,600円ほどでした。

つまり3ヶ月間のフィリピン留学の基本的な費用は約60万位なのでした。

その他、諸々の生活費が必要です。トイレットペーパーや石鹸など。物価が安いので大した額にはなりませんが。

また休みにフィリピン国内を旅行したり、友達と外に飲みに行ったり遊んだりするならば別途費用がかかります。

食事は1日3回(土日はたしか朝昼兼のブランチだったと思いますが)決められた時間に食堂で食べることができます。それは私にはとても美味しいと思われました。

日本にいた頃は男の一人暮らしゆえ不規則で偏ったものしか食べてませんでしたが、その私の食事と比べるとはるかにバランスのとれているものでした。だから日本にいる時より身体はずっと健康的だったはずです。

お金を節約したい場合は食事は外でせず、食堂で出されるものだけ食べていればいいと思います。

私の場合は本当は節約すべきでしたが、町歩きが楽しくて、週末などはよく外に出かけてはレストランや屋台でご飯を食べたりしてました。

水に関しては、寮に冷水と熱湯の出るウォーターサーバーがあったので、旅行時以外では買ったことはありませんでした。

寮にはWiFiがあるので、あまり外を出歩かないという人はSimカードは必要ないでしょう。実際ほとんどの学生はSimを買ってなかったのではないでしょうか。でも休みなどフィリピン国内を旅行したいという人はSimを買ったほうが便利だと思います。もちろん端末はSimフリーでなければなりませんが。私はGlobeという携帯会社のSimを使ってました。

フィリピン アンヘレスに英語留学 2

  

AELC(American English Learning Center)に着いた夜、日本語で声をかけられた私は驚きました。この時までここに日本人マネージャーがいること自体知らなかったのです。彼は私が到着するのを待っていてくれたのでした。

学校に日本人マネージャーがいるということはとても安心なことですし、なにより楽です。勉強のことから生活のことまで相談に乗ってくれます。

私が風邪を引いた時は大学病院を紹介してくれました。病院まで付き添ってくれると申し出てくれましたが、その時には私はアンヘレスの街にすでに慣れていたので、トライシクルというバイクタクシーで一人で行きました。

日本に荷物を送る必要があったときにも学校のドライバーに郵便局まで連れてってくれるよう頼んでくれました。

フィリピンの語学学校には日本人マネージャーがいるところが多いみたいなので、海外留学が不安な人にはとても助けになると思います。

AELCのマネージャーのブログがありますので、興味がある方はどうぞ。

https://ameblo.jp/aelcjapan

フィリピン アンヘレスに英語留学 1

  

フィリピンのアンヘレスという町に3ヶ月間英語留学しました。

なぜ英語留学しようと思ったのかというと、海外を一人旅するのに英語は必要だろうと思ったからです。私の英語レベルは中学生以下でした。もう少し上げておきたいと思いました。また、どうせ旅するなら英語ができたほうがお喋りできて楽しいだろうと思ったのです。

長期滞在する魅力もありました。3ヶ月住んだらフィリピン文化にどっぷり浸かることができるでしょう。

なぜフィリピン留学か。それは欧米より安いからです。物価も安いので生活しやすかったです。

私が学んだ学校は、AELC(American English Learning Center)です。

場所はネットではクラーク地区にあるといわれますが、私の先生によるとクラークというよりアンヘレスということです。クラークはアンヘレスのなかの一地区でクラーク空港の周辺のようです。

この学校の特長は

・ネイティブの講師が在籍し、格安でマンツーマン授業を受けられる

・TOEIC公式試験センターに指定されており、試験を学内で受けることができる

といったところです。金土は門限がないというのもいいところですかね。直近にはセブンイレブンがあり、ジプニーという乗合バスに乗れば5分ほどでショッピングモールや飲食店、薬局、電化製品店などのある繁華街に出ます。生活に必要なものはほぼここで揃います。

学生の割合は韓国人、中国人・台湾人、日本人が1:1:1といった感じでした。私の行った時期は大学が春休みで日本人がいつもよりは多かったようです。学内には日本人マネージャーが常時二人おり勉強のことから生活のことまで相談に乗ってくれます。私も本当にお世話になりました。

AELCに着いた日のことはいまでもよく覚えています。

マニラの空港から学校が寄越してくれたタクシーに乗って約二時間、着いたのはもう10時を超えていました。運転手は私を学内に入れるとそそくさと帰っていきました。

さて、と暗く静かな中庭に立ち夜空を見上げました。風が周囲の草木をザザザと揺らしながら気持ちよく流れています。気候はまさに夏。真冬だった東京から来た私には信じられないくらいです。

高く広く感じられる夏の夜空を見ていると、フィリピンに来たのだという実感がふつふつと湧いてきました。あの多忙を極めた東京の生活からついに抜け出してきたのだ。やっと自由になれた。これから旅が始まるのだ。そう思うと期待で胸がいっぱいになりました。

この時の感動はいまでも忘れません。

するとその時、背後から声をかけるものがありました。

「雲波さんですか?」

それが日本人マネージャーとの出会いでした。

……

AELCのフェイスブックがあります。興味ある方はどうぞ。

https://www.facebook.com/aelc.jp/

出発前夜

  

2016年1月末に旅行に出発しました。

仕事はもちろん辞めて行ったわけですが、なかなかおいしい仕事場だっただけに同僚からはもったいないという声がかけられました。

私にも惜しいという思いがないわけではなかったですが、しかしいつまでもここにいるわけにはいかない、なんのために働いてきたのかと自分に言い聞かせました。なんといっても何かを得るにはリスクをとらなければならない時があるのです。

同僚には最後の日、夜勤明けでしたが、日高屋でささやかな送別会を開いてくれました。あの時の夜の記憶がいまは妙に懐かしく思われます。今はみんなばらばらで、もはや二度と戻れない。そんな場所だからこそ思いはいやましに募るものなのでしょう。

さて、旅のはじまりはフィリピンです。ここに私は英語留学しました。

 

旅に出た理由

  

なぜ旅に出たのか?

と聞かれたら、こう答えます。

いいものが見たかったから。

単純ーーですが私にとっては重要なことなのです。

私にはある死生観があります。それは自分はいつ死んでもおかしくないというものです。明日交通事故に遭って死ぬかもしれない、天災に遭うかもしれない、病気になるかもしれない、犯罪に巻き込まれるかもしれない。生はそんな不安のなかにある、というのが私の観方です。

そうである以上うかうかしておれない。やりたいことやるべきことをやらねばならない。やりたいことは幾つかありますが、そのうちの一つが世界旅行です。同僚にバックパッカーしてたのがいてその影響を受けたというのもありますが、死ぬ前にいいものが見たい、世界を知りたいと思いました。

どうしてそう思うようになったのか。私の好きな進撃の巨人風にいえばこうなります。

「オレが、この世に生まれたからだ!!」

2015年、ちょうどその頃独り身になったということもあり、この自由がきく今こそ旅行に出る時だと思いました。休みなしで馬車馬のように働いて旅費を貯め、2016年に旅に出たわけです。

 

 

はじめに

  

はじめまして、管理人の雲波です。

このブログでは2016年1月から半年間旅行した記録を載せていきたいと思います。

訪問国はフィリピン、タイ、ベトナム、カンボジア、インド、ロシアです。

本当はロシアからイギリスへ渡りヨーロッパを周遊するつもりで航空券まで買っていたのですが、全然予算不足だと言うことにインドで気づき、泣く泣くヨーロッパは諦めました。予算の見積もりが甘々だったんでしょうね。出発前は1年以上旅するつもりでいたんですが半年しかもたなかったんですから。

それでも、出発前からこの旅行のハイライトと目していたインドとロシアに行くことができたので感無量ではありました。両国ともビザ発行などで手間暇がかかっていたのでなおさらです。

イギリス行きを諦めた私は日本に帰る前に中国に寄るべく航空券の行先を北京に変えてもらいました。なぜ中国か?というと、以前北京に住んでいたことがあり、私にとって中国は第二の故郷のように思い入れがある地だからです。久々に中国の空気を吸いたくて訪れたわけですが、あまり写真も撮ってないのでこの旅行記には含めないことにします。

フィリピンを最初に訪れたのは3ヶ月間英語留学したからです。いま言ったとおり、もともとヨーロッパに行くつもりでしたが、英語がからきしダメだったので、これは少し勉強せねばいかんだろうと思ったからです。

最後になりましたが私の紹介を簡単に。未婚の中年男、、ただそれだけの男です。旅行が好きで、東京であくせく働いては海外を旅する、そんな生活を送っております。独り身だからこんな自由気儘不覊奔放ができてしまっています。

そういうわけで、いまの私は旅行中心に回っています。