ホーリーウィーク2016.3.24

  

3/24 Holy Thursday

マンダラーメの人たちは木曜金曜によく街中で見られた。

昼学校を出た私はネポモールの方に向かいました。昨日の青年が言っていたところからすると今日またマンダラーメをやると思われたからです。

スマホを向けると子供がポーズしました。PABASA2016とあります。

昨日宴会に招待された祭壇です。

近くの墓地に人々が集まっていました。鞭打つ人は黙々と自分の背中を打ってましたが、やがて人々は墓地を出て街中を歩き出しました。

あとをついて行きます。

十字架を背負う人。女性のようでした。

PABASAの祭壇。PABASAとは「読む」という意味らしい。このような祭壇が町中にいくつもできて住民が聖書を延々と詠唱する。叙事詩「パッション」の全章らしい。そのPABASAの祭壇をマンダラーメの人々は巡り来てはひざまづいてお祈りし、また次のPABASAの祭壇へ行く。このマンダラーメを教会は認めていないらしくフィリピン人によっては否定感を持つ人もいるようだが地域住民には根付いた儀式のようでした。

街中には多くのマンダラーメの集団がねり歩いていました。

あるマンダラーメの一団の終着点。人々は明るく楽しげでした。

ホーリー・ウィーク2016.3.23②

  

ロレンソ・ルイスの劇が終わってジプニーで学校に帰る途中、ふと夜道を歩く妙な人々を見かけました。マンダラーメだ!と思った私は「パラポ」と言って(ジプニーを降りるときはこう言う)彼らの後を追っかけました。

彼ら一団は鞭を自分に打って歩く人と青年二人、子供たちでした。私があとをついて行くと子供たちはきゃっきゃっ笑いながら私の方を見てきます。やがて広場に祭壇のようなものがあるところに着きました。

ここで鞭打っていた人はお祈りしたり倒れたりしてました。ここは”PABASA”といわれる祭壇で街中各所にあり、次の日以降私はマンダラーメの人々と一緒に経めぐることになります。

私は遠巻きに彼らを見ていたのですが、すると彼らのうちの青年がやって来て写真を撮ってくれと言って来ました。私はやや面食らいながらも了解してスマホを構えると彼らはポーズをとります。鞭打っていた人もやって来て俺も撮れと言い出しました。

写真を撮ってもらうことが嬉しいのかと不思議に思いまた可笑しくもありました。一緒に記念撮影もしましたが一緒に変顔をしよう、こうやるんだと変顔をやらされました。彼らはとにかく陽気でした。

やがて彼らはまた歩き出しました。私がまたあとをついて行くと子供たちはまた私の方を見て笑います。青年はまた歩いてるところを撮れと言います。

一団は住宅街の中に入っていき、やがてまたPABASAの祭壇のある広場に辿り着きました。

ここが終着点のようで、大勢の子供たちが待っていました。道の向こうには大人たちが宴会のテーブルを用意してました。

私は先ほどの青年たちと握手してお別れしました。彼らは「お前明日は来るか、俺たちはここを通る、また明日来い、また会おう」と言ってくれました。私は分かったと応じましたが、結局彼らには会えませんでした。

帰りに先ほどのPABASAを通りかかると、今度は別の一団がテーブルを出して宴会をしています。前を通ると手招きして来ます。また写真を撮ってくれと頼まれてそれで宴会に招待してくれました。彼らは近所の人たちのようでしたがとにかく人なつっこく陽気でした。フィリピン人の国民性を実感したように思いました。その中に学生っぽい男女がいて私のことを興味深そうに色々と聞いて来ました。笑顔も明るく感じのいい青年たちでしたが、彼らともその後会うことはできませんでした。いまから思い返すとフィリピンではいい出会いが多々ありましたが、本当に一瞬のことでした。

ホーリーウィーク2016.3.23

  

3/23(水)Holy Wednesday

この日教会前の道路は封鎖され教会主催の演劇が催されました。予定では18:30開始でしたが実際に始まったのは20:30。。あとで先生に言ったら「It’s Firippino time !」 と言って笑ってました。フィリピン人は時間にルーズだとのこと。自分と気が合いそうだなと思いました。面白かったのはなかなか始まらないのに観客がそれが当たり前のことのように待ってること。遅い!といらいらしてた自分とは違ってました。

ようやく始まります。

演劇ははじめ音楽とダンスではじまり、そのあと殉教者の物語になりました。音楽は中華系で、キリスト教劇とおかしなコラボレーションだなと思いましたが、フィリピンにおける中国の影響力の大きさのあらわれかなと見ながら思っていました。ただ実際、劇が殉教もので重いだけにこの中華音楽の華やかさは聴衆の求めるところだったでしょう。

天使がやって来ました。観客席の間を歩きます。

殉教者が天に召されます。

フィナーレ。さっきまでの重くシリアスな流れとは無関係に一気に騒いではしゃいで盛り上がりますw

大団円には龍も出て来ました。

劇が終わり役者、スタッフ、観客が入り交じり喜びを分かちあいます。

子供たちは紙吹雪で大はしゃぎ。

この劇については教会のスケジュールに次のように書かれてました。

“Ang Martir” A Dance -Drama on the martyrdom of the first Filipino Saint, Lorenzo Ruiz

ロレンソ・ルイス。フィリピン人の聖人でカトリック教徒。日本に初めて来たフィリピン人で江戸時代初期に長崎で殉教しました。

この劇を見るときはこれらについて何も知りませんでしたが、あとから知って日本にまつわる劇だったのかと意外な驚きでした。

劇自体はよかったです。とくに主役のキリスト者が迫害者の迫害にあって殺されるところ。ハリウッド映画に代表される私の見慣れたストーリーではここで誰かが助けるか、主人公が迫害者を倒すのですが、無残にも殺されてしまうのでした。悪が勝つ。不条理だ。だが主人公は天国で神に迎えられるのでした。そうか、と思った。これは私のよく見慣れた劇ではないのでした。キリスト教劇なのでした。この劇の本質は死にある。つまり殉教にある。主人公が迫害者に殺されるシーンでは背後でキリストが迫害され磔にされる映画が映されました。それまで音楽とダンスには散漫だった観客の集中力が一気に高まるのが分かりました。固唾をのむ音が聞こえそうなほどの空気。そして天国で神があらわれ主人公を迎えた時には拍手が起きました。そのとき観客は殉教者に、そしてキリストに共感していたと思います。

ホーリーウィーク2016

  

フィリピンで一番印象深かったことといえばなんといってもホーリーウィークHoly Week(聖週間)です。
ホーリーウィークはイースター(復活祭)の一週間前からはじまり、2016年は3/27(日)がイースターでした。この週の特に木曜金曜以降は大型店舗をはじめ各種交通機関までが休みに入ります。マニラでは電車が止まり長距離バスも本数が減るようでした。学校も木曜から休みに入りました。実に不便な時期だともいえますが、私はむしろフィリピンを知るいい機会だと思いすべての祭礼に参加しようと心に決めていました。

ホーリーロザリーパリッシュ教会にはホーリーウィークの日程表が貼られていました。

3/20(日)Palm Sunday(枝の主日)

この日からイースターの前日の土曜日までがホーリーウィーク。枝の主日はキリストがエルサレムに入った際、群衆がしゅろの枝を振り歓声を上げて迎えたという聖書の記述に基づいているそう。教会ではホーリーウィークの始まりを告げる式典があるようで、時間前には多くの人でごった返していました。

神父の話が終わると人々は一斉にしゅろの枝を振り始めました。ホーリーウィークの始まりです。

式典が終わりしゅろの枝を持った人々も家路につきはじめたころ、教会前にはなにやら一風変わった一団がやって来ました。

彼らはホーリー期間中自分の体を鞭で打ちながら街を歩きます。それは自分の体を痛めつけることによってキリストの苦しみを分かち合おうとするのであり、また罪を清めるためでもあるらしい。先生によるとこれはマンダラーメMandarameといってタガログ語ではなく地方語のようでした。

十字架を背負った人も来ました。

ホーリー期間中私はマンダラーメの人々を何度も見ただけでなく、彼らと交流することにもなりました。

マニラ湾の夕日

  

フィリピン・マニラ湾の夕日はとても綺麗と有名です。なんでも「世界三大夕日」のひとつに数えられるとか。そこでマニラに来た夕方マニラ湾に行ってみました。

ここはマニラで有名な巨大ショッピングモール「モール・オブ・エイジア」。この裏手に海岸があります。

多くの人が散歩したりくつろいでいました。

遊園地のような施設がありました。屋台も多かったです。

夕日を背にライブ演奏。

美しいです。言葉にしたらその宿命ゆえに多くのものは失われてしまいますが、それでもこう言うしかないですね。

チャイナタウンとキアポ

  

マニラのイントラムロス北側を流れるパッシング川を渡るとそこはチャイナタウンです。

パッシング川に架かるジョンズ橋からチャイナタウンの入口へ。「中国城」(城は町の意)とあるのが見えます。

入口を入るとフィリピン・中国の親善門が見えてきます。Philippino-Chinese Friendship Archと書かれてあります。

しばらく歩くと見えてくるのがビノンド教会Binondo Churchです。

さらに歩いていくと街並みはいよいよ雑然とした雰囲気に。漢字の看板もあちらこちらにあります。

うろちょろ歩いているともう一つの親善門に行き当たりました。

親善門を抜けると開けた空間に出ました。

正面にはサンタ・クルス教会Santa Cruz Church。

教会の祭壇などに捧げる花を売る少女。

さらに歩き回ると市場に出ました。いつの間にかチャイナタウンを抜けキアポという地区に来ていたみたいです。

キアポは庶民の街でチャイナタウンよりも雑然とした感じです。

市場の隣に教会がありました。

キアポ教会Quiapo Church。有名な教会で私も知ってましたが、まさかこんなところにあるとは思いませんでした。

ミサが行われていました。この教会には17世紀にメキシコから持ち込まれた黒いキリスト像「ブラック・ナザレBlack Nazarene」があるので有名です。毎年1月に開催されるブラック・ナザレ祭Feast of the Black Nazareneには多くの人が訪れるそうです。

教会前には蝋燭や線香?など教会関連の品々が売られてました。

ミサが終わっても多くの人がお祈りしていました。

この日はチャイナタウンに宿をとりました。夜が更けたあとも賑やかなナイトマーケットや教会を散策しました。

これはサンタ・クルス教会。

時間は忘れましたが教会が閉まる前に少し見学しました。

これはキアポ教会。ここはなんと夜ずっと開いてるみたいでした。フィリピンで私が知った教会はたいてい夜は閉まっていたので意外でした。

すでに何人か椅子に寝ていました。私も少し横になってみました。事情があって寝床に困る人はきっととても助かることでしょう。教会の慈悲深さを感じました。

一夜明けてイスラム教徒たちの住む地区へ来ました。この周辺は昨夜も歩いたのですが、地球の歩き方によると治安があまりよくないようです。

右手に黄金のモスクが見えて来ました。

マニラ・ゴールデン・モスク。中に入ろうとしたら入口に座っていた老人に止められて入れませんでした。

実は前夜ここで火事があってそのせいかもしれません。その時はどさくさにまぎれるように中に入れたのでしたが。

イスラム地区を去ります。

アンヘレスに帰る前にサンタ・クルス教会に寄ってみました。朝のミサが行われていました。

以上、チャイナタウンとキアポでした。

ここは初めて来たときは偶然たどり着いた感じで、来ようと思って来たわけではありませんでした。イントラムロスからパッシング川を渡り歩いていたらこの地区に迷い込んでしまったのです。

あとからここがチャイナタウンと知ったわけですが、その雑然としたカオスな雰囲気に一気に惹かれてしまいました。

ここはチャイナタウンとはいえども、横浜の中華街のような観光地では全然ありません。古い建物も多いし道もかなり汚い。普通に庶民の町です。ただ私にはとても興味深く感じられました。

そこで学校の休みの日にあらためて、ここチャイナタウンに一泊することを目的に訪れたわけでした。

国立博物館

  

マニラ市の中央に位置するのがイントラムロスとリサール公園。このすぐ近くに国立博物館があります。
フィリピンに関する考古学、人類学、植物学、動物学ほか、ありとあらゆるアカデミズムの世界が一覧できます。

フィリピンに住んだ最も古い人類は、2万2000年前の旧石器時代の人々とされています。とくになんの解説もなく、いつの頃の家なのか分からなかったが、大昔フィリピン人はこんな家に住んでいたんだなということは実感できました。

博物館内は写真撮影がOKでした。フラッシュはたかないようにと注意はされましたが。

陶器の模様に中国の影響を感じます。

フィリピンにはワニがいるのだろうか?

タガログ語でもない大昔の文字。

なぜかベルリンの壁が・・・

その他キリスト教の像など宗教的な展示物も数多くありました。やはりスペインの影響は大きい。タガログ語にはスペイン語との共通性があるといいます。また陶器を見ているとふと中国国立博物館で見た陶器を思い出しました。スペインが16世紀にやってくるはるか前からフィリピンは中国との交流が盛んでした。中国人の血を受け継いでいるフィリピン人も多い。さらにイスラムの展示物もありました。スペインが来てキリスト教を広める前、16世紀のマニラはイスラム大国だったといいます。現在のカトリック教国であるフィリピンからはとても信じられない話です。本当にそんな時代があったのかと、なんとも歴史は不可思議だと感じざるをえません。ともかくスペイン、中国、イスラムなどからの影響を受けて今のフィリピンはある。とても複雑でミステリアスで奥が深い国です。

マニラ〜イントラムロス INTRAMUROS

  

イントラムロス Intramuros

マニラ市の中央にイントラムロスとよばれる城塞都市があります。ここは16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根拠地とした場所で、周囲には城壁が形成され、かつてはスペイン人とメスチーソ(スペイン人との混血)のみが住むのを許されていたといわれます。

イントラムロスの入口

雑貨店。スパニッシュスタイルの建物

カーサ・マニラ博物館 Casa Manila museum

この博物館ではかつてのスペイン統治時代の特権階級の暮らしぶりを見ることができます。中は撮影禁止だったので外観だけ

サン・オウガスチン教会 San Augustin Church

サン・オウガスチン教会 。カーサ・マニラ博物館の向かいにあります。1599~1606に建てられたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会のひとつ。世界遺産に登録されています。

教会では結婚式が行われていました。

教会横にはサン・オウガスチン博物館が併設されています。

サン・オウガスチン博物館 San Augustin Museum

宗教画や礼服、像など宗教的な品々が数多く展示され、これらは歴史的にも価値があり見どころは多い。じっくり見たら半日はかかりそうだと思いました。博物館内の各部屋や廊下は重厚な石造りで16世紀の世界に迷い込んだかのよう。ただ歩き回るだけでその雰囲気を感じられて楽しい。壁、柱、天井、窓、椅子、階段、手摺りなどそれ自体個性的であり存在感がありました。

サンチャゴ要塞 Fort Santiago

イントラムロスの北西の一番端に位置するのがサンチャゴ要塞です。

かつてこのイントラムロスという城塞都市のなかで、ここが戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうです。

サンチャゴ要塞の裏手にはパッシング川が流れる。その向こうはチャイナタウン。

マニラ大聖堂 Manila Cathedral

イントラムロスにはマニラ大聖堂があります。
第二次世界大戦で破壊されましたが、1954~1958年に再建された教会で、フィリピンで最も重要な教会とされています。

ここのパイプオルガンは4500本のパイプをもちアジアで最も大きいものの一つといわれます。

この教会のステンドグラスはフィリピン人アーティストによってデザインされたそうです。

ここでも結婚式。部外者でも中に入れました。

私が中に入ったときはちょうど二つの結婚式の間だったようで、しばらく中を見学してたら次の結婚式がはじまってしまい、ドアが閉まって出れなくなってしまいました。いいのかなと思いつつ、一番後ろの席に座って、結婚式に参加することになりました・・・

しばらくして教会後方にずらりと列ができました。いちばん前にひとり立っている黒いスーツの男が新郎か。それに続いて男女二人ずつの列。その後ろにドレスアップしたちっちゃな子供たち。

音楽が奏でられ、まず新郎がひとり前に歩いていきます。今日の主役です。みんなが彼を見ていました。みんなが彼を祝福しているのがわかりました。そのあと男女二人ずつ間隔をおいて前に歩いていきます。子供たちはひとりずつ歩いていきます。全員行ってしまい、さてと後ろを見ると、いよいよそのドアはゆっくり開いていくのでした。

もうひとりの主役の登場です。場の空気が変わる・・・皆が花嫁を見ていました。きれいでした。そしてファウストの言葉を借りたらこう言うのが最も適しているような瞬間でした。

「時よ止まれ。お前は美しい」

バギオ2

  

バギオ大聖堂

バギオ博物館

バーンハム公園。バギオの町を設計したダニエル・H・バーンハムの名にちなんで名づけられているという。

先住民族の衣装を着て記念撮影。

公園近くに立つ山岳民族の像

公園で人々がボードゲームをしてるのは中国でもよく見かけるが、フィリピンでもあるんだなと思いました。中国では象棋という将棋のようなものだったが、フィリピンではチェスのようです。日本ではない光景なので面白い。

公園周辺には屋台が軒を連ねていました。

日本食?の屋台も

お好み焼きのようなものでした。美味しかったです。

杏仁豆腐のようなスイーツ。これも美味しかった。

夜になっても屋台はにぎわっていました。

バギオ〜ナイトマーケット

  

宿が決まってホッとした私は夜の街の探索に出かけました。そこで私は偶然ナイトマーケットを見つけました。バギオのナイトマーケットは「地球の歩き方」にも載っているくらい有名のようです。

昼のこの通りが・・・

夜9時以降巨大なナイトマーケットになる!

古着が安く手に入ります。ジャケット20ペソ=60円!

靴300ペソ=900円。

本場のストリートフードの店も出ます。目の前で豪快に調理してるのは本当に美味しそう。実際美味しかったです。

雨が降り出してきました。それでもシートをかぶせたりして営業を続けます。

ナイトマーケットは見ているだけで楽しかったです。

アンヘレスに帰ってから、ネポモール周辺のあの街にもこのバギオのに負けないほど巨大なナイトマーケットが出現することを知りました。それからというもの、夕方に教会のミサを見学したあとナイトマーケットをぶらぶらするというのが私の散歩コースになりました。