チャイナタウンとキアポ

  

マニラのイントラムロス北側を流れるパッシング川を渡るとそこはチャイナタウンです。

パッシング川に架かるジョンズ橋からチャイナタウンの入口へ。「中国城」(城は町の意)とあるのが見えます。

入口を入るとフィリピン・中国の親善門が見えてきます。Philippino-Chinese Friendship Archと書かれてあります。

しばらく歩くと見えてくるのがビノンド教会Binondo Churchです。

さらに歩いていくと街並みはいよいよ雑然とした雰囲気に。漢字の看板もあちらこちらにあります。

うろちょろ歩いているともう一つの親善門に行き当たりました。

親善門を抜けると開けた空間に出ました。

正面にはサンタ・クルス教会Santa Cruz Church。

教会の祭壇などに捧げる花を売る少女。

さらに歩き回ると市場に出ました。いつの間にかチャイナタウンを抜けキアポという地区に来ていたみたいです。

キアポは庶民の街でチャイナタウンよりも雑然とした感じです。

市場の隣に教会がありました。

キアポ教会Quiapo Church。有名な教会で私も知ってましたが、まさかこんなところにあるとは思いませんでした。

ミサが行われていました。この教会には17世紀にメキシコから持ち込まれた黒いキリスト像「ブラック・ナザレBlack Nazarene」があるので有名です。毎年1月に開催されるブラック・ナザレ祭Feast of the Black Nazareneには多くの人が訪れるそうです。

教会前には蝋燭や線香?など教会関連の品々が売られてました。

ミサが終わっても多くの人がお祈りしていました。

この日はチャイナタウンに宿をとりました。夜が更けたあとも賑やかなナイトマーケットや教会を散策しました。

これはサンタ・クルス教会。

時間は忘れましたが教会が閉まる前に少し見学しました。

これはキアポ教会。ここはなんと夜ずっと開いてるみたいでした。フィリピンで私が知った教会はたいてい夜は閉まっていたので意外でした。

すでに何人か椅子に寝ていました。私も少し横になってみました。事情があって寝床に困る人はきっととても助かることでしょう。教会の慈悲深さを感じました。

一夜明けてイスラム教徒たちの住む地区へ来ました。この周辺は昨夜も歩いたのですが、地球の歩き方によると治安があまりよくないようです。

右手に黄金のモスクが見えて来ました。

マニラ・ゴールデン・モスク。中に入ろうとしたら入口に座っていた老人に止められて入れませんでした。

実は前夜ここで火事があってそのせいかもしれません。その時はどさくさにまぎれるように中に入れたのでしたが。

イスラム地区を去ります。

アンヘレスに帰る前にサンタ・クルス教会に寄ってみました。朝のミサが行われていました。

以上、チャイナタウンとキアポでした。

ここは初めて来たときは偶然たどり着いた感じで、来ようと思って来たわけではありませんでした。イントラムロスからパッシング川を渡り歩いていたらこの地区に迷い込んでしまったのです。

あとからここがチャイナタウンと知ったわけですが、その雑然としたカオスな雰囲気に一気に惹かれてしまいました。

ここはチャイナタウンとはいえども、横浜の中華街のような観光地では全然ありません。古い建物も多いし道もかなり汚い。普通に庶民の町です。ただ私にはとても興味深く感じられました。

そこで学校の休みの日にあらためて、ここチャイナタウンに一泊することを目的に訪れたわけでした。

国立博物館

  

マニラ市の中央に位置するのがイントラムロスとリサール公園。このすぐ近くに国立博物館があります。
フィリピンに関する考古学、人類学、植物学、動物学ほか、ありとあらゆるアカデミズムの世界が一覧できます。

フィリピンに住んだ最も古い人類は、2万2000年前の旧石器時代の人々とされています。とくになんの解説もなく、いつの頃の家なのか分からなかったが、大昔フィリピン人はこんな家に住んでいたんだなということは実感できました。

博物館内は写真撮影がOKでした。フラッシュはたかないようにと注意はされましたが。

陶器の模様に中国の影響を感じます。

フィリピンにはワニがいるのだろうか?

タガログ語でもない大昔の文字。

なぜかベルリンの壁が・・・

その他キリスト教の像など宗教的な展示物も数多くありました。やはりスペインの影響は大きい。タガログ語にはスペイン語との共通性があるといいます。また陶器を見ているとふと中国国立博物館で見た陶器を思い出しました。スペインが16世紀にやってくるはるか前からフィリピンは中国との交流が盛んでした。中国人の血を受け継いでいるフィリピン人も多い。さらにイスラムの展示物もありました。スペインが来てキリスト教を広める前、16世紀のマニラはイスラム大国だったといいます。現在のカトリック教国であるフィリピンからはとても信じられない話です。本当にそんな時代があったのかと、なんとも歴史は不可思議だと感じざるをえません。ともかくスペイン、中国、イスラムなどからの影響を受けて今のフィリピンはある。とても複雑でミステリアスで奥が深い国です。

マニラ〜イントラムロス INTRAMUROS

  

イントラムロス Intramuros

マニラ市の中央にイントラムロスとよばれる城塞都市があります。ここは16世紀にスペイン人がフィリピン統治の根拠地とした場所で、周囲には城壁が形成され、かつてはスペイン人とメスチーソ(スペイン人との混血)のみが住むのを許されていたといわれます。

イントラムロスの入口

雑貨店。スパニッシュスタイルの建物

カーサ・マニラ博物館 Casa Manila museum

この博物館ではかつてのスペイン統治時代の特権階級の暮らしぶりを見ることができます。中は撮影禁止だったので外観だけ

サン・オウガスチン教会 San Augustin Church

サン・オウガスチン教会 。カーサ・マニラ博物館の向かいにあります。1599~1606に建てられたフィリピン石造建築のなかで最も古い教会のひとつ。世界遺産に登録されています。

教会では結婚式が行われていました。

教会横にはサン・オウガスチン博物館が併設されています。

サン・オウガスチン博物館 San Augustin Museum

宗教画や礼服、像など宗教的な品々が数多く展示され、これらは歴史的にも価値があり見どころは多い。じっくり見たら半日はかかりそうだと思いました。博物館内の各部屋や廊下は重厚な石造りで16世紀の世界に迷い込んだかのよう。ただ歩き回るだけでその雰囲気を感じられて楽しい。壁、柱、天井、窓、椅子、階段、手摺りなどそれ自体個性的であり存在感がありました。

サンチャゴ要塞 Fort Santiago

イントラムロスの北西の一番端に位置するのがサンチャゴ要塞です。

かつてこのイントラムロスという城塞都市のなかで、ここが戦略上最も重要な場所としての役割を果たしていたそうです。

サンチャゴ要塞の裏手にはパッシング川が流れる。その向こうはチャイナタウン。

マニラ大聖堂 Manila Cathedral

イントラムロスにはマニラ大聖堂があります。
第二次世界大戦で破壊されましたが、1954~1958年に再建された教会で、フィリピンで最も重要な教会とされています。

ここのパイプオルガンは4500本のパイプをもちアジアで最も大きいものの一つといわれます。

この教会のステンドグラスはフィリピン人アーティストによってデザインされたそうです。

ここでも結婚式。部外者でも中に入れました。

私が中に入ったときはちょうど二つの結婚式の間だったようで、しばらく中を見学してたら次の結婚式がはじまってしまい、ドアが閉まって出れなくなってしまいました。いいのかなと思いつつ、一番後ろの席に座って、結婚式に参加することになりました・・・

しばらくして教会後方にずらりと列ができました。いちばん前にひとり立っている黒いスーツの男が新郎か。それに続いて男女二人ずつの列。その後ろにドレスアップしたちっちゃな子供たち。

音楽が奏でられ、まず新郎がひとり前に歩いていきます。今日の主役です。みんなが彼を見ていました。みんなが彼を祝福しているのがわかりました。そのあと男女二人ずつ間隔をおいて前に歩いていきます。子供たちはひとりずつ歩いていきます。全員行ってしまい、さてと後ろを見ると、いよいよそのドアはゆっくり開いていくのでした。

もうひとりの主役の登場です。場の空気が変わる・・・皆が花嫁を見ていました。きれいでした。そしてファウストの言葉を借りたらこう言うのが最も適しているような瞬間でした。

「時よ止まれ。お前は美しい」

バギオ2

  

バギオ大聖堂

バギオ博物館

バーンハム公園。バギオの町を設計したダニエル・H・バーンハムの名にちなんで名づけられているという。

先住民族の衣装を着て記念撮影。

公園近くに立つ山岳民族の像

公園で人々がボードゲームをしてるのは中国でもよく見かけるが、フィリピンでもあるんだなと思いました。中国では象棋という将棋のようなものだったが、フィリピンではチェスのようです。日本ではない光景なので面白い。

公園周辺には屋台が軒を連ねていました。

日本食?の屋台も

お好み焼きのようなものでした。美味しかったです。

杏仁豆腐のようなスイーツ。これも美味しかった。

夜になっても屋台はにぎわっていました。

バギオ〜ナイトマーケット

  

宿が決まってホッとした私は夜の街の探索に出かけました。そこで私は偶然ナイトマーケットを見つけました。バギオのナイトマーケットは「地球の歩き方」にも載っているくらい有名のようです。

昼のこの通りが・・・

夜9時以降巨大なナイトマーケットになる!

古着が安く手に入ります。ジャケット20ペソ=60円!

靴300ペソ=900円。

本場のストリートフードの店も出ます。目の前で豪快に調理してるのは本当に美味しそう。実際美味しかったです。

雨が降り出してきました。それでもシートをかぶせたりして営業を続けます。

ナイトマーケットは見ているだけで楽しかったです。

アンヘレスに帰ってから、ネポモール周辺のあの街にもこのバギオのに負けないほど巨大なナイトマーケットが出現することを知りました。それからというもの、夕方に教会のミサを見学したあとナイトマーケットをぶらぶらするというのが私の散歩コースになりました。

バギオ Baguio

  

2016年の2/8(月)は旧正月で、フィリピンではチャイニーズイヤーとして祝日でした。学校も三連休だったのでルソン島北部の街バギオに小旅行に行って来ました。

標高1500mに位置するバギオ。フィリピンとは思えないほど涼しかったです。この日は曇っていたので長袖シャツでちょうどよかった。市内には八つの大学があり全人口の半分は学生ともいわれます。たしかに若者が多かったです。

バギオにはAELCのような語学学校もあるようで、タイで会った日本人はここの学校に英語留学したとのことでした。

2016年当時1ペソは3円弱(2018年現在は2円強)。なのでみかん一袋150円くらいでした。安い。

バギオといえば苺と先生は言ってましたが、確かに山のように売られていました。

50g買って歩き食いしたが美味かったです。

バギオで泊まったホテル「銀星大旅社」。

この日は祝日だったせいか、ホテルはどこも満室でなかなか見つからず、暗くなってきて焦っていたところようやく見つけることができました。中国人経営のホテルらしかったです。

中はこんな感じ。部屋は狭く窓なしでボロかったが、最低限のものは揃っているようでした。電源は使えたし、ベッドにもダニはいなさそうだったのでまあよしとしたわけです。ホテルが見つからなかった場合、この寒空の下バスの待合室で寝るしかないと思っていたので、屋根の下で寝れるというだけでその時はとにかくありがたかったです。

実際バギオはフィリピンとは思えないほど涼しかったです。アンヘレスはまさに夏でいつも半袖半ずぼん、サンダル姿でいましたが、それに比べるとバギオは過ごしやすかったです。とはいえ夜になると肌寒くすらありました。

この銀星大旅社に私は二泊三日しました。

アンヘレスの街〜ネポモール周辺2

  

右にJolibeeと見えますが、これがフィリピン一のファーストフード店「ジョリビー」です。あのマクドナルドもフィリピンではシェアの面で敵わないといわれるほど人気です。実際フィリピンのいたるところでジョリビーを見かけます。AELCの前にもあります。ジョリビーのあのミツバチのキャラクターも人気だそうですが、それはかわいらしいだけでなくどこか可笑しさがあるからではないかと思われました。

この通りにはスマホ店が多かったです。たくさんの中古スマホがショーウインドウに並んでました。

フィリピンではたまに見かける馬車。マニラで乗りました。

フィリピンには華僑が多いようで、中国の旧正月を新暦と同じようにお祝いします。

床屋

先生に教えてもらった店。フィリピン料理が食べられます。いつも客が多く人気店のようでした。

上の店でよくたべた料理。独特の味付けで美味しかったです。料理の名前は忘れてしまいましたが。

ホーリーロザリーパリッシュHoryRosaryParish教会。ネポモール周辺の繁華街におけるもう一つのランドマークというべきなのがこの教会。フィリピンはアジア唯一のカトリック教国です。フィリピン人のおよそ80パーセント以上がカトリックといわれます。

教会には学生が学校帰りに来ていたり、労働者風の男がお祈りしていたり、恋人らしい男女がミサを聞いていたりしていて、それらを見ると私はいつも新鮮な驚きを感じるのでした。フィリピンの一般市民のあいだに宗教がいかに浸透しているかという驚きでした。宗教は彼らの生活の一部なのです。

無宗教で教会などというものに行ったこともない私には何から何まで興味深いものでした。私はよく夕方のミサを聞きに教会を訪れました。ミサは英語とタガログ語を交互にやっているようで、夜までやってました。

ミサを聞くのは自由なので、私はフィリピン人のふりをして椅子に座ってました。もっともタガログ語のミサはもちろん、英語のミサもよく聞き取れませんでしたが。歌も歌ったりしました。おもしろかったのはミサの最後の方でいつも隣人愛の表現なのでしょうが、牧師の呼びかけがあると聴衆者たちが前後左右に振り向いて、そこにいる隣人に笑顔で頷いてみせるのです。はじめの頃私は戸惑って恥ずかしがったものですが、じきにそれにも慣れ、私も彼らに頷いたりしてました。

フィリピン滞在中に何度もこの教会を訪れたわけですが、結局私は信者にはなりませんでした。それでもこの後に体験するホーリーウイークとともに、このホーリーロザリーパリッシュ教会はいまではとてもいい思い出です。

アンヘレスの街〜ネポモール周辺

  

AELCからジプニーに乗って約5分で繁華街に着きます。そこにはネポモールNEPOMALLというショッピングモールがあり、いわばこの街のランドマークになっていました。私はよくこの街に行くことをネポモールに行くと言っていました。

噂ではネポさんが作ったからネポモールだとか・・・

中にはスーパーマーケットからファーストフード・飲食店、服屋、本屋兼文房具店、電化製品店、スマホ販売店などが入っています。生活に必要なものはここでほぼ全て揃うと言っていいでしょう。私はスマホのSimカードをここで買いました。

ATMも何台かあるので、クレジットカードかデビットカードがあればここでペソを引き出せます。私は当時は三菱UFJ銀行とジャパンネット銀行のデビットカードでATMから引き出していました。なので両替屋は利用しませんでした。

私と同時期に入学した一人の日本人は、持って来たクレジットカードでペソを引き出すことができなくて困っていました。おそらくクレジットカードのキャッシング枠がゼロだったのでしょう。旅行前にはキャッシング枠をよく確認しておく必要があります。

ちなみに、当時私は上記デビットカードで引き出していましたが、両替時の手数料の点でもっと割のいいクレジットカードがあるのをあとから知りました。いまでは旅行時はそちらで現地通貨を引き出してます。いつか機会があればそれについても紹介します。

右にあるのがアンヘレスでよく見る薬のチェーン店「mercury drug」。留学中に親知らずが痛み出して大変でしたが、ここで痛み止めをもらったらそれが意外に効きました。

出国前に海外保険には入っていましたが、歯科系の疾患には保険は適用されないということを後から知り、絶望的な気持ちになりました。痛みはありがたいことに一時期のものでしたが、その時は本当にどうしようと困り果てました。

この時の教訓で、少し長めの旅行前には歯科医に診てもらうようにしています。

親知らずは勿論、帰国後に抜きました。

この通りに出た時、私はフィリピンに来てはじめて東南アジアに来たという実感をもちました。それはほとんど感動ですらありました。それまでは、空港から直接タクシーでAELCに来て学内にいたので、町歩きしてなかったのです。

写真に写っている車がジプニーです。アンヘレス市内を縦横無尽に走っております。ただバス停などはなく、どのジプニーがどこを走るのか、街に住んでない人には全然分かりません。

ジプニーに乗る時は運転手に見えるように手を出します。すると止まってくれます。タクシーを止める時の要領です。アンヘレスの人たちはよくジプニーを止めるとき人差し指を出してました。つまり一人乗りますよ、という意味です。

ジプニーの路線に関していうと、ネポモールはAELCに住む私にとってはすべての基点になる場所でした。SMモールというアンヘレス一のショッピングモールに行くにも、大学病院に行くにも、長距離バス停に行くにも、まずネポモール行きのジプニーに乗ってから、それぞれの目的地を通るジプニーに乗り換えるのです。逆に学校に帰るにはとにかくネポモールに行きさえすればいいわけです。

ジプニーは安いしとても便利ですが、注意すべき点もあります。それは盗難です。同じAELCの日本人の学生男二人がジプニーに乗ったそうですが、降りた時にはズボンのポケットに入れていたiPhoneがなくなっていたそうです。二人ともです。信じられますか?そんなことありうるのかという話です。でも事実そうらしいのです。犯人は一体どうやったのか?

私はその話を聞いてとにかくびっくりしてしまったわけですが、痛感させられたのは、本当の盗みのプロにかかってはどんな対策も意味をなさないのではないかということでした。二人は不運だったというしかありません。

それ以降、私はジプニーに乗る時はTシャツの下に隠したウエストポーチの中にiPhoneを入れてました。その甲斐あってか、フィリピン滞在中に盗難に遭うことはありませんでした。いま旅行するときはそこまでの対策はしてませんが、それでもポケットに入れた金とスマホにはいつも神経を張り巡らせています。

そんなこともありましたが、そういう注意点を除けば、ジプニーはとても便利で大好きでした。しばらく町歩きしているうちに、どのジプニーがどこを走るかを把握できるようになると、もうどこにでも行けるんじゃないかという気になりました。これが自由というものだと思われました。

特に好きだったのが夜のジプニーでした。窓から入る風が心地よく、後ろに過ぎ去って行く町並みをいつまでも眺めていました。

アンヘレス英語留学の授業

  

AELCの売りはネイティブ教師とのマンツーマンですが、私はフィリピン人教師に習いました。

フィリピン人教師は丁寧で親切とネットで見たから単純にそうしました。私は英語が中学生レベル以下だったので、はじめフィリピン人教師に習ってから、もし欲が出てきたらネイティブ教師の授業に替えるか追加しようと考えたのです。

マンツーマン授業は1日3コマでしたが、実際に習ってみるとフィリピン人の先生は3人ともとてもいい先生でした。3ヶ月間この3人に習いたいと思ったので、結局ネイティブの先生には替えなかったわけです。

マンツーマン授業はとても楽しかったです。grammar,reading,speakingと授業内容とテキストが決まっていて、それにあわせて先生が教えてくれました。最初はぎこちなかった私の英語でしたが、少し経つと知ってる単語を駆使しておしゃべりできるようにはなってました。それというのも先生が私のレベルに合わせて話してくれたからです。テキストに関連した話で盛り上がることもありましたし、それぞれの国や生活のことでおしゃべりすることもありました。

今から思うとこのおしゃべりの経験が私にとってはとても大きかったです。英語で考えて英語で話すといういわゆる英語脳が発達したと思われるからです。

3ヶ月のフィリピン留学で英語がペラペラになるということはもちろんありませんでしたが、英語脳は若干形成されて、単純な英語の受け答えはすぐ出てくるようにはなりました。重要なのはこれからも英語の勉強を継続していくことだと一人の先生は言っていました。

フィリピン人はみんな英語がペラペラと思っていましたが、実際のところ喋れはするが苦手という人も多いようです。その先生は発音がとても綺麗で授業でもその英語の上手さや頭のよさがよく感じられたものでしたが、それは話を聞くと努力の賜物なのだということが分かるのでした。高校出てからも大学で4年間英語を勉強し続けたということです。その話のなかでは、大学で毎日毎日英語を使っていると疲れることもあったと言ってました。たしかに外国語で考え続けていると母国語に慣れている脳には疲れるものがあります。

英語の上達には延々と勉強し続けることが大切なのだとその先生から教わりました。先生の努力を知って私も努力しようという気になったのです。こういう内面的な根拠ともいうべきものはこの留学における大きな財産の一つであったといえるのです。

アンヘレスに3ヶ月留学した費用

  

AELCでの留学費用は3ヶ月間で約52万でした。これには授業料に食費、それに入学金(約12,000円)が含まれます。

授業料はマンツーマンの授業が1日3コマ(フィリピン人の先生3人)の料金です。グループレッスンを1日2コマ受けることもできます。

この留学費用は日本出発前にエージェントに払う支払う費用です。ちなみに私がお世話になったエージェントは留学プロといいました。

留学プロ

ただAELCの学生はSchoolWithというエージェントの仲介で来ていた人が多かったみたいです。(2016年当時)

SchoolWith

上記の渡航前に払う費用とは別に、現地に着いてから払う費用が別途あります。

寄宿舎補償金3,000ペソ(帰国時に返還)、SSP(特別滞在許可証)6,000ペソ、ACR-Iカード(外国人登録証)3,000ペソ、SSRN(登録管理番号発行費用)1,000ペソ、空港ピックアップ2,700ペソ、一人部屋代500ペソ/1週×12=6,000ペソ、ビザ延長費用8,530ペソです。あわせて30,230ペソ。当時1ペソは約2.5円でしたので、だいたい75,600円ほどでした。

つまり3ヶ月間のフィリピン留学の基本的な費用は約60万位なのでした。

その他、諸々の生活費が必要です。トイレットペーパーや石鹸など。物価が安いので大した額にはなりませんが。

また休みにフィリピン国内を旅行したり、友達と外に飲みに行ったり遊んだりするならば別途費用がかかります。

食事は1日3回(土日はたしか朝昼兼のブランチだったと思いますが)決められた時間に食堂で食べることができます。それは私にはとても美味しいと思われました。

日本にいた頃は男の一人暮らしゆえ不規則で偏ったものしか食べてませんでしたが、その私の食事と比べるとはるかにバランスのとれているものでした。だから日本にいる時より身体はずっと健康的だったはずです。

お金を節約したい場合は食事は外でせず、食堂で出されるものだけ食べていればいいと思います。

私の場合は本当は節約すべきでしたが、町歩きが楽しくて、週末などはよく外に出かけてはレストランや屋台でご飯を食べたりしてました。

水に関しては、寮に冷水と熱湯の出るウォーターサーバーがあったので、旅行時以外では買ったことはありませんでした。

寮にはWiFiがあるので、あまり外を出歩かないという人はSimカードは必要ないでしょう。実際ほとんどの学生はSimを買ってなかったのではないでしょうか。でも休みなどフィリピン国内を旅行したいという人はSimを買ったほうが便利だと思います。もちろん端末はSimフリーでなければなりませんが。私はGlobeという携帯会社のSimを使ってました。