デリーで体調悪化 Max Super Speciality Hospitalへ

  

デリーのホテル R.S.インターナショナル

サンタナデリーをチェックアウトする時、従業員の日本人のおじさんに次に行くホテル「R.S.インターナショナル」の宿泊料を話すと、そんな安い所あるのと意外そうにしてました。デリー通であろう彼が驚くくらい安いホテル・・・よっぽどボロいホテルなのではないかと少し不安になりました。

R.S.インターナショナルはサンタナから比較的近い位置にありました。結果からいえば、綺麗なホテルではありませんでしたが、必要最低限のものは揃っていて、この安さだったら十分満足できるといえるものでした。予約した部屋は一階にあり、一人で泊まるには十分な広さです。電気、水道、トイレ、シャワー問題なし。ただエアコンがついたりつかなかったりで、ついていてもあまり効かないような感じでした。でもこの部屋、不思議なほど暑くありません。ホテルの周りが建物に囲まれていて陰になっているせいからかもしれませんが、どこかひんやりとしています。天井の扇風機を回していれば十分です。サンタナのあの屋上の灼熱とはえらい違いです。静養する上でこれが一番よかったと思える所でした。

あとトイレはなんとウォシュレットがついてました。インドはトイレで紙を使わないということで、バケツに水をはってあると聞いたことがありましたが、この部屋には逆にバケツはありませんでした。インドのこのようなややボロいホテルにウォシュレットがあることは意外な喜びでした。

WiFiも若干弱いですがなんとかつながりました。つながらないときはフロントのほうまで行くとそこのWiFiに接続できました。

そんなわけでようやく落ち着いたと思っていたのですが、しかしRSに来て二日目、私は体調を悪化させてしまうのでした。

ちなみにあとで分かったことですが、このR.S.インターナショナルの近辺は治安が悪そうだったので、女性や旅慣れない若者などにはこのホテルは薦められないと思います。

体調急変 病院へ行く決断

二日目の朝、あまりの気持ち悪さに目が覚めた私はトイレに駆け込んで吐き下してしまいました。それから私は茫然自失となって床にへなへなと座り込んでしまいました。

「これはやばい」・・・危機感と焦燥感に包まれて愕然となりながら思いました。体調はよくなるどころか悪くなっている・・・今日、いますぐ病院に行かなければならない、そうでないと動けなくなる恐れがある・・・

そうすぐ判断した私はすぐにスマホをネットにつなぎました。病院を探さなければならなかったわけですが、私にはひとつ心当たりがありました。フィリピン留学中に体調を崩した際、病院内に入っていたジャパニーズヘルプデスクにお世話になったわけですが、それがここデリーにもあったはずです。

ネットで調べると、やはりデリーにジャパニーズヘルプデスクはありました。「Max Super Speciality Hospital」という病院内にあるようです。場所はMalviya Nagarという地下鉄の駅から近い。New Delhi駅から幸い乗り換えなしで行けるみたいです。地下鉄は乗ったことがありませんでしたが、地球の歩き方で乗り方が書かれてある部分を読んでおきました。

こんなことならサンタナデリーにあのままいればよかったという思いがちらと頭をかすめました。サンタナでは病気になったとき病院に連れてってもらえるとのことでした。重い身体を押して自力でインドの病院に行かねばならないという苦労もなかったでしょう。しかしそんなこともすべて後の祭り・・・サンタナにいた頃はまだここまで悪くなってなかったし、だから病院にだけはできれば行きたくないと思ってもいたのでした。・・・

そんなことはともかく、気分は相当悪かったですが、危機感に背中を押されるかたちで出かける準備に取りかかりました。お金、スマホ、デビットカード、保険証、ティッシュ、ビニール袋、部屋の鍵など必要最低限なものを半ずぼんに突っ込み、外に出ました。

 

病院を目指し、地下鉄に乗るが・・・

R.S.インターナショナルのホテルからニューデリーの駅は比較的近かったですが、午前中とはいえ暑くなりはじめた日差しとあのインドの町の混雑とが、弱った身体にはすこぶるこたえるのでした。

デリーの地下鉄はとても発達していて駅数もかなり多い。自動販売機前で路線を確認しチケットを買いました。チケットは磁気入りプラスチックトークンです。ホームに降りて電車を待ちます。New Delhi駅からMalviya Nagar駅まではイエローラインという路線で11駅目でした。地下鉄の乗り方などは外国人でも分かりやすく、ここまでは順調でした。

しかし電車に乗ってしばらく揺られたら、途端に気持ち悪くなりました。一駅目のRajiv Chowk駅でたまらず飛び降り、トイレに駆けこんでまた吐き下してしまいました。

トイレから出た私はふらふらと、そのまま駅構内の通路に座りこんでしまいました。

それからどれくらい座りこんでいたでしょうか・・・

一度インド人の変な詐欺師みたいのが何やら話しかけてきましたが、気分が悪い、英語話せないと言って追い払いました。それ以外は基本的に人々は私については無視でした。私なんぞに関心をもつものなどおりません。そんな無関心さは東京と変わらないでしょう。私の方としてはそっとしておいてほしかったので、人々の無関心さがむしろありがたいくらいでした。ただ一人だけ、軍人のような青年が、”あんた大丈夫か?”と声をかけてきました。私は意外な感に包まれながらも、”大丈夫だ”と答え、彼に心配させないようにしました。青年は去っていき、私はまたそこにうずくまりました。・・・

ずいぶん長い時間座ってたような気がします。少し気分が落ち着いてきて、そうすると、いつまでもここに座っているわけにはいかないという思いが焦燥感とともに起こってきました。なんとしても今日中に病院に行かなければならない。しかし電車は無理だ・・・とするとあとはタクシーです。駅構内から外に出てタクシーを探しました。

 

コンノート・プレイスでオートリクシャーを拾う

Ragiv Chowk駅はコンノート・プレイスという町の駅です。このコンノート・プレイスはニューデリーのヘソといわれています。ニューデリー駅周辺とは雰囲気が異なり、綺麗なショップや飲食店が立ち並び、どこか近代的な雰囲気です。歩いている人もニューデリー駅周辺と比べると身なりもこざっぱりしている感じがします。そういう意味ではあまりインドらしいとはいえないかもしれません。ニューデリー駅・メインバザール周辺のあの乱雑・混沌がまさに私にとってのインドのイメージそのものでした。

それはともかく、このコンノート・プレイスに出た私は早速タクシーを探しました。しばらく歩いているとオートリクシャーのドライバーが客引きしてきました。立派な髭を生やしたお爺さんで、あのインド人のよく着てる白いクルターとパージャーマーを着ていました。私はこのオートリクシャーに乗ることにし、彼にMax Hospitalまで連れてってくれるように頼みました。すると彼はMax Hospitalは遠い、ここから近くに病院があるからそこに連れてってやると言います。私は、いや、Max Hospitalに行きたいんだと答えました。彼は不服そうに近くの病院のことを言ってましたが、私が応じなかったので、結局Max hospitalに行ってくれることになりました。「なんで日本人はMax hospitalに行きたがるんだ?」と言ってましたが、それはジャパニーズヘルプデスクがあるからだろうと内心思いました。このドライバーのお爺さんも知ってるくらい、日本人はMax hospitalに行くのかと意外な驚きでした。

値段交渉もそこそこにオートリクシャーに乗り込みました。値段は忘れてしまいましたが、値切るための交渉も億劫だった私はほとんど爺さんの言い値で妥協したと思います。

オートリクシャーは小型オート三輪の後部に二人がけの座席をつけたものです。とても小さいのですが、走り始めてすぐに気分が悪くなった私はその狭い座席に無理に横になってしまいました。ほとんど落ちそうなくらいでしたが、そんなことにかまってられないほどの気持ち悪さだったのでした。

 

Max Super Speciality HospitalのERへ

病院に着いた時の私の気分の悪さはまさにmax superといった感じでしたw  笑うどころの話ではないんですが、今から振り返るとこの日のことも、その後のインドでのドタバタもどこか喜劇的で、おもしろ可笑しく感じられてしまうのです。

オートリクシャーを降りた私は気持ち悪くてほとんど呻いてましたが、大丈夫かこいつはみたいに見るドライバーの爺さんをかまわず後にして、病院の本棟らしい所の入口に入っていきました。そのままトイレに駆け込んでまた吐き下してしまいましたが、もう吐くものもあまりありませんでした。

気持ち悪さは全然治らないまま、私はふらふらと病院内を彷徨ってましたが、ふと総合受付のようなデスクを見つけたので、そこの人に頼んでみることにしました。受付のお姉さんに体調が悪いので、ジャパニーズヘルプデスクにつないでほしいと頼みました。しかしそのお姉さんが愛想ゼロ、というかほとんどマイナスで、こっちの話を聞いてるんだか聞いてないんだか、反応がすこぶる悪いのでした。

こういう接客態度の悪さというのは外国ではむしろ普通で、私はそれがあたりまえのことのように思うほど慣れていたので、そんな態度にいちいち怒ったりはしないものですが、しかしこの時は最高に気持ち悪かったので、早く電話してくれと歯痒く思わざるをえませんでした。それからその受付の女性はようやく電話をかけましたが、私のほうはそこに立ってられず、しゃがみこんでしまいました。女性のほうはそんな私のことをひとかけらも心配する素振りもありません。病院で働く職員とはとても思えないひどさです。私はその受付の対応をしまいまで待ってられず、気持ち悪さに突き動かされるかたちでそこを離れ、なにを思ったかすぐ前に見えたERのドアの向こうに転がりこんでいきました。正常な理性が働いていたらそんな大胆で突飛な行動はとてもとれるものではないですが、その時はただワラをも掴む気持ちで衝動的になっていたのだと思います。

ERのドアの先は広い空間で、大勢の医師や看護師があちらこちらと忙しそうに行き交っていました。私はそこにいる人たちに体調が悪いということを訴えてましたが、かんばしい反応が得られなかったので、そこにあった車輪付きのベッドに勝手に乗っかってしまいました。はたから見たら何だ彼はと思われてたかもしれませんが、私は余裕がなくて他の人がどう見るかなどてんで無頓着で、ベッドに横になりながら気持ち悪くてうんうん唸ってました。

しばらくそうしていると、一人の女性がそばに寄ってきて笑いながらあなたどうしたのと声をかけてきました。あまりインド人ぽくない、けれどアジア人であろうと思われるその女性は可笑しそうに私を見ています。その雰囲気からなんとなく医師のように思われました。私は気分が悪いです、ジャパニーズヘルプデスクを呼んでくれませんか、と頼みました。彼女はやさしそうに笑って、分かったわ、ちょっと待ってなさいと言い残してどこかへ歩いて行きました。

 

ジャパニーズヘルプデスク登場

そこからは順調にことが運んでいったように思います。その女性医師をはじめ、何人かが私の治療のための準備をしてくれました。

そしてしばらくすると待望のジャパニーズヘルプデスクのスタッフが来ました。ただその人は日本人ではなくインド人でした。こざっぱりとしてカジュアルなシャツを着たインテリ風の男性で、20代前半くらいでしょうか、黒ひげをきれいに整えた、インド人としてはおそらくイケメンであろうと思われる若者でした。

彼は私に保険証はありますかと英語で尋ねてきました。私はポケットから保険証を出して渡すと彼はそれを持ってどこかへ消えましたが、しばらくするとまた戻ってきて保険証を返してくれました。保険証は問題なかったようで、無事治療を受けられるということでした。

その後私は点滴をしてもらい、これで楽になるでしょうと医師に言われ、それを聞きながらふいにうとうととなり、そのまま深い眠りに落ちていったのでした。・・・

 

電話の向こうの日本人

どれくらい眠ったのでしょうか、目が覚めるととてもよく寝た感じがします。さっきまで呻くほど気持ち悪かったのですが、今はそんなことはなく、大分よくなったのを感じます。右腕につながった点滴をぼんやり見ていると、目が覚めた私に気がついた看護師が近づいてきて話しかけてきました。看護師によると私は6時間以上寝ていたようです。そんなに寝てたのかと私は驚いてしまいました。それだと外はもう夜のはずです。

看護師はいまの点滴が終わったら念のためにもう一本点滴を打っておきましょう、それが終わったら今日は帰っていいですよと告げました。私はできれば入院したいくらいでしたが、おそらく入院するほどでもないのだろうと思い、それにしたがって大人しく帰ろうと思いました。それから点滴を新しいのに替えて、それが終わるまで、1時間くらいだったでしょうか、私は横になっていました。

その間にさっきのジャパニーズヘルプデスクのイケメンインド人が様子を見に来てくれました。彼は私に携帯電話を渡し、電話に出るよう促すので出てみると、電話の先の主は日本人なのでした。その人はジャパニーズヘルプデスクのスタッフでした。三十代くらいのまだ若そうでありながらしっかりしてそうな男性の声で、私の許に来れず電話のみですまないと詫びてました。私の病状の説明を受けているようで、点滴が終わったら帰っても大丈夫ですということを話してくれました。その他、少し話をして、その内容はほとんど忘れてしまいましたが、とても久しぶりに日本語を話して安心したのを覚えています。

 

インド人医師の診断

点滴が終わりに近づいた頃、インド人医師がやって来ました。壮年の、眼光の鋭いその医師は”英語は喋れるか?”と尋ねました。私が「a little」と答えると医師は困ったような顔になりました。そして、そこに控えていたジャパニーズヘルプデスクのイケメンインド人スタッフとなにやら話していましたが、結論としてはさっきの日本人スタッフがその医師の言葉を電話を通して翻訳してくれることになりました。

日本人スタッフを介して医師が私に告げたのは大きく言って二点。

一つ目は処方した薬の飲み方。一日、食後に何錠とかそんな話でした。

二つ目は具体的な指示で、一日に4リットルの水を飲むようにとのことでした。水を飲んでお腹にいる菌を洗い流すということでした。

この水を飲んで菌を洗い流すという考えは日本では、少なくとも私の育ってきた過去においてはあまり聞いたことがない考えだったのですが、海外に出てからよく耳にするようになりました。中国に住んでた頃、私が風邪に引いたとき中国人の友達は水をたくさん飲むように言いました。悪いものを水で身体から洗い流すと言ってました。

またフィリピンで風邪を引き、また胃腸を壊して病院に行った時も医師から水をたくさん飲むようにと言われました。

ここインドでも同じように言われたことからして、水をたくさん飲むというのはきっと効果的な治療法なのだろうと思われるのでした。

 

病院の弁当

点滴が終わり帰り支度をしていると、終わるまで傍についていてくれたジャパニーズヘルプデスクのインド人スタッフが、これ食べていきなよと病院が提供したと思われる弁当を持ってきた。さっきまで腹こわしてたんだし、いくら点滴で良くなったとはいえ物食べるのはやめたほうがいいのではと思ったが、彼がなんの頓着もないふうに、ほらお腹すいたろ、食べてきなよといった感じで勧めるので、なんとなくそれに流されてしまいました。彼は私が身体のどこを悪くして治療を受けていたのかを分かってるのだろうかと疑問に思いましたが、彼としては私はもう完全に治ったと思って安心していたのでしょう。単純というか楽観的というか、たぶんインド人らしいといえるのかもしれませんでしたが、まあともかく悪い人ではなかったし、むしろスタッフとして親身に付き添ってくれたので彼にはとても感謝しています。

病院の食堂に移動して弁当を開けると中身はインドらしくカレーとご飯でした。美味しかったですが、さすがに全部は食べきれずに残りは捨ててしまいました。

イケメンインド人スタッフは私が食べ終わるまで付き添ってくれました。何かお喋りもしたような気もしますが、今となってはもうほとんど覚えてません。帰りは、もう外は夜でしたが、病院の入口で彼にお礼を言って別れました。

 

ニューデリーに帰る

病院の入口にはオートリクシャーの客待ちがいたので、それに乗ってニューデリーまで帰りました。行きとは違って帰りは気持ち悪くて横になるということはなく、夜景を眺める余裕がありました。

この時の帰り道の印象がなぜかいまでも深く記憶に刻まれています。心地よい旅情といった印象です。それはフィリピンで夜ジプニーに乗って風の吹かれながら後ろに流れていく夜景をいつまでも飽きずに眺めていたあの思い出がいまでも記憶に残っているのと同じようです。

こうして無事ニューデリーに戻ることができ、長い長い一日が終わりました。しかしこの日の点滴で胃腸がすぐ良くなったというわけではなく、完全に治って他の都市に移動できるようになるまでになんと二週間もの時間がかかったのでした。その話、ニューデリーでの療養生活の物語は次回になります。

この長い長い一日の話も、その後の二週間も当時は大変で、苦しかったり辛かったりでしたが、いまから振り返ってみるとなんだか滑稽で可笑しく思えてしまうのが不思議です。稀有な体験だったのは間違いありません。そしてこれらはまさにインドの洗礼だったと思うのです。

それにしても、ジャパニーズヘルプデスクの存在を知っていてよかったとつくづく思いました。フィリピンでの経験がここインドでの窮地を救ったといえるのです。フィリピン・アンヘレスのあの日本人スタッフには本当にお世話になりましたし、この日出会ったスタッフにもお世話になりました。いまではもう遠くになってしまった彼らのことを思い出すとき、ありがたいという感謝の気持ちが溢れてきます。

最後にMax Super speciality Hspitalはとてもいい病院だと思います。ジャパニーズヘルプデスクもあるし、運悪くデリーで病気になってしまったときなどは訪れてみてはいかがでしょうか。

 

ジャパニーズヘルプデスク

Max Super speciality Hspital

 

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